岩村城 ① | 繭未ブログ Tokyo Life!!

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繭未の日常をつづったブログです!!


途中まで書いてすっかり更新するのを忘れて保存ブログが埋もれておりました涙

岩村城をご紹介しますはーと

マニアな城好きにしか知られてはいないでしょう…

城好き以外にも、私の育った町に興味を持っていただければと思います。




2014.12.29(月)


年末、地元へ帰った時にお城登ってきました城

城・・・と言っても城跡です。


ここは私が通ってた高校(現:支援学校)の裏あたりにある城の登り口ですきらきら

その高校も、もとは藩校であった「知新館(ちしんかん)」の跡地にあるんです。

歴史ある場所で学んでいた事を今調べてて知りましたakn


どれだけ私が歴史に興味なかったかがわかるわ涙

雨上がりの昼過ぎに車でここまで乗せてきてもらった車




これは、復元された太鼓櫓顔文字

特に中が入れるわけではないんだけど・・・

景観的にはステキでしょキラキラ




通り抜けるとこんな感じにこ


岩村城は、山城なので、本丸に行くのに山を登らないとならないのあせ

戦のない太平の時代になった時、城主が城の山頂に住む必要がなかったので、城の麓に藩主邸を置いて、太鼓櫓は、城下に時を知らせる場所だったのスマイル




そしてこれが、藩校「知新館」の正門。

名前は、「温故知新」から取られています顔文字


そ~言えば、小学校の頃から「温故知新」ってすごい言われてきた記憶があるとほほ

いたるところに額が飾ってあった気もする。

藩の教えが受け継がれてるんだろうねわー




人は当に自ら吾が心を礼拝し 自ら安否を問うべし

- 佐藤一斎 言志晩録 -



佐藤一斎

美濃国岩村藩出身の儒学者。

70歳で幕府の学問所「昌平黌」の儒官(総長)に。


詳しくはこちら

興味深い、学脈と門人の系図も載ってたよえっ!

山田方谷・佐久間象山・安積艮斎・横井小楠・渡辺崋山なんかも教え子なんですねにへ

幕末好きの皆さんにはおなじみの名前ばかりですね~あげ






揮毫:小泉純一郎


すごくない???キランっ!!

小泉さんが書いたんだよ~あーとー


というのも、首相在任中に佐藤一斎の『言志四録』を国会の答弁で言ったんだってお~


少くして学べば、則ち壮にして為すことあり

壮にして学べば、則ち老いて衰えず

老いて学べば、則ち死して朽ちず


2009年、この像が出来た時に小泉さんがこの地に来て、挨拶もしていますきらきら


「苦しい時代を生き抜いた先人たちとは、生きている時代こそ違うけれど、書物を通じて出会うことができる。書物を通じて、その教えを学ぶことができる。一斎の教えを授業などに取り入れ、先人から多くのことを学び、地域づくりに役立ててほしい」



”書物を通じて出会うことができる”

松陰先生っぽいですね・・・と思って調べてみたら、小泉さんの尊敬する人が「吉田松陰」なんだとかお~
ますます嬉しいハート



資料館もあるんだよ~、この日は年末でお休みだった↓

子供の頃に来た事あるかなぁ???

1度くらいはあると思うんだけど・・・まったく覚えてない汗2


でも高校の頃は、演劇部の練習をよくこの横あたりでやってたから、しょっちゅう来てたぼー

懐かしいわぁ~きらきら




さぁ、登るぞっむむ

ここが登城口あげ

もうあとは真っすぐ、道なりに行けばいいバイバイ




「本丸まで八百米」q


米????ってなんの単位だ顔文字(+´・_・`+)ン?

と思って調べたら、メートルを漢字で現わすと「米」って書くんだとさ??

知らなかったダッシュ



結構な傾斜なのよ*カオ


登り口で「やっぱり登るのやめようかな」と・・・

頭をよぎりました。




途中ひらけた場所が出てきますラブ



下田歌子勉学所

下田歌子が勉学に勤しんだとされる勉強部屋(父の書斎)を復元したもの♥




下田歌子

明治から昭和にかけて日本の女子教育の先駆者であり歌人。

5歳で俳句・和歌を詠み、8歳で漢書を理解したといいます。

現在の実践女子大学(東京日野)を創設しています。


下田歌子顕彰碑


歌子亡くなる1年前に実践の校庭で刻まれ鉄道で運ばれて来たんだそうです♥akn♥

すごいねわぁ

こっちで作ればいいのに・・・と思ってしまったぶ~




三好学

明治・大正・昭和時代の植物学者、理学博士。

ドイツ留学から帰国し、帝国大学教授に就任。

「景観」という言葉を日本で初めて使用した人物。

大正11年、東京大学附属小石川植物園”園長に就任。

大正12年に東京帝国大学名誉教授となる。



地元には有名人がたくさんいるんだなぁ~と今さら知った私なのです。

私の子供の頃にはなかった、知らない銅像や立て札がいっぱいでしたとほほ



つづく



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