皆さんこんにちは。
私立の小学校だったため、そのまま同じ系列の中学高等学校(女子校)へ進みました。
中高は世田谷区にあり、朝5時に起きて、準備をし出かけないダメでした。
私はどちらかというと朝起きるのは得意でした。姉は苦手なようで、大抵私が先に家を出発していました。姉とは3学年違い、当時は一緒に通学した事はありませんでした。かといって仲が悪かったというわけではないのですが。
姉妹の関係って結構ドライですよね。
姉は天才肌と私は思います。コツコツなにか勉強しているところを私は見た事がありません。それでも、まあそこそこの成績だったと思います。
私は逆で地道に覚えたりするのが好きなタイプでした。負けず嫌いなところもあり、成績は良かったです。
中学校一年の頃私はまず、前から入部したいと考えていた茶道部へ入りました。しかしこちらは、部ではなく同好会でした。何か部活に入らなくてはいけなくて、映画とか映像に少し興味があったため、写真部に入部してみたのですが…。
写真部の顧問の先生が担任で、私がお転婆であることを知ってなのか、先生に「あなたは運動部に入ったほうがいい。」といわれ、写真部をクビになりました
そのおかげで、私はソフトボール部に入る事になりました。近所の幼馴染兼大親友とよくキャッチボールをしていたので。あと、母が野球好きで、横浜ベイスターズの大ファンだったからかもしれません。
とにかく球に触れていたかったので、キャッチャーをしていました。かれこれ6年間ソフトボール部に所属していました。
とても弱いチームではありましたが、そこでの学びは私を強くしてくれたと思います。
現代では、体育会系の先輩を敬う文化や、ちょっとスパルタな訓練のようなものはすぐにバッシングを受けたりしますが、私はとても良い経験ができたと思っています。
海外での留学生活でも、日本で社会人として働いた時もこの時の経験が生きていると思います。
オーストラリアでの教育実習で、アシスタントとして体育の授業に参加した時、遠投をする授業がありました。生徒の相手をしていた時、体育の先生に「女性でボールを遠くに投げれるのは珍しい」と喜ばれました。なかなか役に立つ技ではないのですが 。
中学生の頃は、動物が好きで、獣医さんになりたかったものです。今もたまに獣医さんになれてたらなと思う事があります。
このころから、私は大きくなったら、絶対にペットを飼いたいと思っていました。
マンション住まいだったため、猫や犬を飼うことができませんでした。
ボタンインコは飼っていました。この子はとても賢く、お風呂とお味噌汁が大好きで、母の言うことしかききませんでした笑笑。
この頃に私は大きくて白い犬がを飼いたいな、だから庭付きの家にすみたいなとすでに思っていました。
このころから20年後に、願いが叶いました、私はオーストラリアで庭付きの家に住み、白くて大きな犬を飼っているのですから。
この犬がまつ吉で、とても賢く、優しい、食べる事が好きで、誰の言うこともききます
願いは必ず叶うのです。