皆さまこんにちは。
オーストラリアで教師として働き、永住ビザ取得後、結婚をしました。
教師として働いて5年目に初めに就任した学校から他の公立高校へ移りました。
知り合いの日本語教師に11、12年を教えられる先生が欲しいと呼ばれ、ほかの学校を見てみたいと思い、移ることに決めました。
学校によって校風があるので、とても良い経験になりました。ここでも素敵な仲間たちと出会えましたし。
この頃、夫(元夫)が長年の夢であった、オーストラリアでの日本食レストラン起業が叶いました。
彼は英語があまり得意ではなかったため、出店準備、運営、管理、経理などを手伝いました。出店2年目に従業員が辞めてしまったため、教師を辞め、店で働くことになりました。
接客業は初めてでしたが、日本の文化を伝えるという事は今までやってきたことと同じだったので、抵抗はありませんでした。
日本食を食べて喜んでいるお客さんを見ては嬉しい気持ちになれたし、たくさんの方々と友達にもなれました。
オーストラリアの田舎町にできた最初の日本食レストランでした。出店してからずっと繁盛していました。ただ、とにかく忙しく、めまぐるしい毎日でした。
娘が生まれる直前まで働き、一週間後には手伝いはじめました。娘をおぶって接客をしてました。まるで昭和のお店。
雇い主というのは本当に大変ですね
大きな店ではないですが、60人集客できるスペースがあり、広いため、二人ではお店は回せないので、数人雇っていました。
とくにオーストラリアは雇用主に厳しく、雇用者に優しい。
当時のウエイトレスさん(未経験)の最低時給は$20(約1700円ほど)。
私はもちろん無給です。
でも従業員さんにはなかなか雇い主の気持ちはわかりません。
この話はまた、波乱万丈編にて書かせていただきます。
店の仕事をしながら、私はやはり教師の仕事が忘れられませんでした。
娘が小学校に通うようになり、日本語の非常勤教師としても働き始めました。
店と、教師と、子供の世話これはかなり大変でした。
出店してから10年経とうかという頃、私の母が他界しました。
突然の出来事でした。
私は娘と息子(愛犬)を連れ日本へ帰国することにしました。
次回へつづきます。