ある三歳児が、一日に十数回も手洗いをするというので、ママが心配して専門の先生に相談したという記事を読んだことがあります。先生は、「君は手を洗いたいんだよね」と一言声をかけたそうです。すると、その子の手洗いはその日からぴたりと止んだとのこと。結論としては、子どもは不安やストレスを抱えて手洗いをしているので、そこを親は受け入れてあげてください、とのことだったそうです。
 手洗いについては、実は私もかなり神経を使っています。同僚にたまに潔癖だね、と言われることがあるくらいですが、特に一時代前の男性から見ると、ちょっとどうかなと思うレベルかもしれません。といっても、あの三歳児君ほどではありません。ただ、ドアノブに触れた後で化粧室を使うときには、できるだけ事前に軽く手洗いするようにしています。あとは、白杖を地面に倒したときには必ずウェットティッシュで全体を拭いておく、不特定の人が触るボタンなどに触れた後にはやはりウェットティッシュで指先を拭いておくといった程度です。こういう手間を省くために、手すりやつり革には極力触れないようにしています。ちょっと神経質なレベルではありますが、これは続けています。
 ある先生が書いた本には、少しぐらいのばい菌には絶えられるよう、あまり清潔にしないほうが良いとあります。この先生は、家の中なら床に落ちた食べ物も平気で食べると豪語しておられました。
 一方、「潔癖だね」と言われたときの撃退法という本には、「これ、普通でしょ?と言い返せ!」と励ましの一文がありました。
 私はどちらかというと、後者に賛成です。潔癖とは、誰が決めるものなのでしょう。ルーズな衛生状況の中にいて好ましくない何かが起きたとき、潔癖だと笑った人が助けてくれるでしょうか。
 私がやや神経質に手を綺麗にするようになったのは、親元で小鳥を飼ってからだと思います。「鳥が教えてくれた空」に書いたソウシチョウたちです。彼らの世話を素手で行った後には、必ずしっかり手洗いをしました。鳥かごに触れたときもそうでした。
 留学していたアメリカの家にはチワワが放し飼いになっていて、食事をするダイニングルームにも出入りしていましたが、食事のときには必ずガレージに出していました。ペットですから素手で触りますし、ときには部屋に粗相していることもありますので、動物と暮らすには、それなりの覚悟が要ることを、このとき学びました。
 ソウシチョウたちは籠にいたし、ベランダや、屋内でも階段の上の窓や玄関など、生活の場からは離れた場所にいました。彼らの水やえさの箱をキッチンで洗うことはけっしてなかったし、しかるべき距離はおくようにしていました。彼らにとっても、人間との安全距離が必要だったからというのもありました。
 彼らは、とても熱心に羽繕いをします。暇さえあれば、一日中やっていると思うくらい。まず朝起きて一声鳴いたら、水を飲んで、その水を浴びて羽繕い。ご飯を食べて一頻り鳴きっこしてお昼になり、ちょっとお休みして午後の羽繕い。夕方の水浴びでまた羽繕い、といった具合です。飼い鳥で危険がないからこんなに羽繕いに時間をかけられるという事情もあったでしょうが、たとえば一瞬籠から出て戻ったときなども、必ず羽を綺麗にくちばしで梳かして、尻尾の先まで油を塗り、綺麗に整えます。跳ねは彼らの命を守る大切なものなのです。それを丁寧に作ろうフワッ、キュッという音を聞きながら、私は彼らのひたむきな羽への気遣いに心打たれたものでした。
 小鳥にとっての羽は、私にとっての手だと、このとき思いました。そしてそんな経験から、私は自分の手を前よりも大切にするようになりました。ピアノや点字を扱うため、指先の感覚は敏感で、少しでも濡れたり油分が多いととても気になります。鳥の羽と同じように、指先を綺麗にしたいという気持ちは、もともとあったのでしょう。もちろん、冬に油分が足りなくなったときも同じです。指先は、単に美しくするだけでなく、清潔で、いつも同じ状態に保っておくことが大切、そして、特にシーンレスにとっては、手が清潔であるということは、小鳥たちにとって羽が綺麗であるのと同じく、命に直結する大切なことなのだと思います。
 シーンレスといきなり広げてしまいましたが、それは、シーンレスは常に「ものを触る」生活だからです。たとえば私の場合、ドアノブの位置を探すという動作一つ取っても、見える人のようにストレートにノブに手が行くときばかりではありません。ドアのどこかに触り、そこからノブを探すこともよくあります。エレベーターのボタンも同じ。点字表示も触らなければ読めません。杖を持った手で食事をしたり顔を触ることもありますから、杖も綺麗にしておかなければなりません。「トイレの後は手洗いを」というレベルではなく、このくらい気遣いしないと自分の衛生は護れないし、手引きしていただくときに相手に不快な思いをさせてしまうことにもなりかねません。だから私は、ある一線を自分の中に造り、それを超えることがあった場合は必ず手を綺麗にするようになったのです。
 ところで、いま日本は大変なリスクを背負ってしまいました。世界からも「どうするんだ」と詰め寄られていますね。会社からも、手洗いとうがいを頻繁に行うよう、全世界の支局に通知がきました。東京のオフィスでは、アルコールジェルが随所に置かれています。ドアノブや手すり、ボタンに触れた後は手を拭くように、咳やくしゃみをするときはエチケットを守るようにといった細かな指示も世界レベルで通知されてきます。私の清潔習慣は、いまや「指示」の内容になってしまいました。
 いずれにせよ、私は潔癖をやたらに批判するのは、いまの時代にはどうかと思っています。できることはしておけば、気持ちもさっぱりしますし。
 清潔好きなのにちょっと肩身の狭い思いをしているみなさん、勇気を出しましょう。もちろん、あまりストイックになりすぎないように加減することも含めて。
(誤変換等はご容赦ください)

「でんしゃは うたう」が東京混声合唱段の「鉄道組曲」として歌われました。
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今回は「求むマエストロ」。
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ラジオ「心のともしび」に原稿執筆
点字毎日紙に「三宮麻由子のブック・トラベル」連載中
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