台湾食べっぱなし(小吃と台湾華語) -6ページ目

台湾食べっぱなし(小吃と台湾華語)

台湾に住むことになっていろいろと、気持ちよかったりわるかったり。楽になったり辛かったり。
食べ物のことが中心です。

今日は、久しぶりに叔母に会った。
六本木で、タイ料理。


アラウンド60の叔母は、2週間前からパソコンを使い始めたそうだ。
小さい「っ」「ょ」が打てないから避けて作文しているとか、
サポートセンターの遠隔操作にびっくり仰天するとか、
アドレス帳を全部消しちゃうとか、
日本語入力システムを立ち上げられないとか、
いろいろな壁をひとつひとつクリアして、成長している。

SNSの話をすると、彼女も「それは面白そう」と乗ってきた。
しくみがわからなくても、こういうコミュニティは、魅力があるらしい。
きっと、もうすぐTwitterやFacebookで、業務連絡がきたりするのだろう。


彼女は一生パソコンを使わなくても生きていけるたくましい人だけど、
人間、いくつからでも、自分にまったくない資質を拓くことは、できるし、
また、美しいと思った。
自分のものにして、一つ一つ感動することに、時代遅れも、時期遅れも、なにもない。
彼女にとっては、まさに今が最新の感動で、とても素敵な時間を過ごしている。
限界はあっても、年を取ることは、案外わるくないなぁと思いながら、
電動機付き自転車で帰る彼女を見送った。


帰ったら、叔母から、10行くらいのメールが来ていた。
これを打つのに、たぶん30分はかかっている。
「フレー フレー むにぞ(注;ホントは私の本名)」と、最後に書いてあった。
いろいろ参りました。

蚵仔煎は牡蠣と野菜の卵焼きだ。
野菜は白菜や水菜、ニラとかが多い。
だいたい屋台で食べられるので、作り方をじっと見る。

広めの鉄板に、まずは牡蠣を炒める。けっこう時間をかけて中まで火を通していた。
その後炒めた牡蠣を片栗粉みたいなもので固め、
野菜を炒めて、最後に卵を入れてざっくりとじる。

最後に、甘い&酸っぱい&醤油の香りのするソースをかける。
なんというかな…昔駄菓子屋で食べたスモモジャム?的な?
それは、ソースの中に入っている梅子粉(メイズーフェン)という、
台湾の人がよく果物などにつけて食べる、甘酸っぱしょっぱい粉がそうさせているんだろう。

台湾の醤油は、やや甘くてどろっとした感じの正蔭油と、
日本の醤油と同じく、さらりとした感じの清油がある。
前者は火を通して食べることが多いみたい。後者は刺身などにそのままつけて食べる。
蚵仔煎の調味料には前者が入っている。

食感はぷるぷるで、もう全部ぷるぷる。
卵から牡蠣からかたくり粉から全部ぷるぷる。
歯の悪い人でも食べられるぷるぷる。

右上は牡蠣のスープ蚵仔湯。
これは基隆の廟口夜市で食べたもの。

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ぷるぷるの牡蠣とぷるぷるの卵焼きが好きな人はおすすめだ。
なんというか、女子どもが好きそうなお味である。



牡蠣って、信用問題である。
昔、北海道の厚岸というところで牡蠣を食べて当たったのだ。
厚岸…冷涼な場所の当たらなそうな牡蠣…でも、どんぴしゃ当たった。
3日くらい遅れて、インフルエンザみたいにやってきた。
わたしはてっきり風邪かと思った。そしたら医師が、「食中毒ですね。カキ食べませんでしたか?」って。
高熱が出て、脱水になって、点滴したっけ…それくらい、牡蠣って怖い。

でも、台湾では、すごく牡蠣に対して信頼があるというか、
庶民の料理にどんどん入ってくる。牡蠣に警戒心がない。
基隆という港町では、おばさんが小ぶりの牡蠣をずっとずっと剥いていたりして、
生活に入り込んでいる感じ。

で、私は台湾の牡蠣で当たったことはありません。
暑いところなのに、本当に不思議である。
信じれば、牡蠣も悪さをしないのかもしんない。

何でも自分のものにして持って帰ろうとすると難しいものなんだよ。

ぼくは見るだけにしてるんだ。

そして立ち去るときにはそれを頭の中へしまっておくのさ。

そのほうがかばんをうんうんいいながら運ぶより、ずっと快適だからね。


ログを残すってことがはやっている。ノートや何かに。
ブログって名前も、ここからきたんでしょう?
人は自分がしたことを忘れてしまうのが怖い。
軌跡や過程は財産だって、今は誰でも知ってる。
だから、書き留めておこうと思う。

それは自然な気持ちだ。
パーキンソン病の男性を介護していたとき、
彼は四冊目の十年連用日記を買ってきて欲しいといった。
どんどん小さくなっていく文字を震えた手で書きながら、
四冊目を書き終わらないうちに、なくなった。

認知症の人たちは、忘れてしまうことを隠す。
かくして嘘をついて、その嘘を信じてしまう。
それくらい、人は過去を忘れる自分が怖い。


でも、わたしは全てを残しておくのは辛い。
残された4冊の日記は、娘さんの宝になったろうか。
それとも重荷になったろうか。

わたしは、欲張りだから、その瞬間を味わいつくしたい。
瞬間の細かい物事をあとからどうこうしようって、思わないのだ。賢くない。
だから、何でもかんでも書くとしたら、その時間が惜しい。
書く時間があったら、その意味を、深く考えたいんだ。
考えて、心に染みこませて、自分が選んだ「本当」「本質」だけを、残しておきたい。
それだけを書くのなら、わたしもそれをもってゆきたい。

小さなことは、そのときに味わい尽くす。
そうして、「感覚」の「意味」を覚えておくんだ。
あなたが大好きだった、空がキレイで、幸せだった。
緊迫して、辛かった、涙が出て、やりきれなかった。
いい加減だった、だらだらして、意味がなかった。
そういう肌の温度は、無意識にインプットされて、
「覚えて」いなくても、視覚のプリズムに必ず影響すると思っている。
だから、全部を書く必要はないんだと思う。


何でも自分のものにして持って帰ることは、できないかもしれない。
でも、瞬間を全部味わったなら、持って帰らなくても、美味しかったじゃないか。



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