ニューミュージック元年、1975年
楽しい本。
1975年、、、中学3年生、か。
大関貴ノ花初優勝の年。

前半 矢沢、はっぴぃえんど、たつろー、浜田省吾、みゆき
はいまいち知らない曲が多かったが、(除くみゆき)
後半になるにつれ音楽が脳内炸裂!
拓郎、陽水、ミカバンド、ユーミン、
タイトルを読むだけで曲が、歌詞が頭の中を駆け巡る。
楽しい。
チューリップが、キャンディーズが、太田裕美が、
岩崎宏美が、さだまさしが、いい感じで登場。
締めは松田聖子。
ニューミュージックと歌謡曲の融合、と。

ユーミンにまつわる驚いたうんちくが2つ。

ルージュの伝言のあの鏡に口紅で書くくだりは
井上陽水が糟糠の妻を裏切った時に妻に書かれたもの

卒業写真は女の先生に対して贈ったもの、、
だから「しかってー」でおわる

ちゃんとした目次がないので、
スージーさんがNoteに公開した序章を再掲

楽しい本。

 

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本書は、タイトル通り、1975年に着目した一冊である。なぜ今75年なのか──。

まずは、連載していた昨年(25年)からちょうど50年前=半世紀前だったということ。つまり、当時の記憶をさかのぼるのに、いいタイミングだったのだ。

ちなみに私は当時、小学3年生。東大阪に住む、歌謡曲と阪神タイガースが大好きな、ちょっと早熟なガキだった。当時のヒット曲や音楽シーンにリアルタイムで接した記憶を、少しずつ披露していこうと思っている。

そして次に、この年は「ニューミュージック元年」だと言えること

今や死語となった「ニューミュージック」とは「戦後生まれの若者による自作自演音楽」ぐいの意味で、もう少し具体的にいえば、吉田拓郎、井上陽水、さらに荒井(現・松任谷)由実が作った地盤の上に花開いた音楽ムーブメントを意味するものだった。

この年に関する象徴的な事実は、この年、山下達郎、浜田省吾、中島みゆきがデビュー、さらにはキャロルを解散した矢沢永吉が、ソロデビューしたということ。

つまり拓郎、陽水、ユーミンという「GREAT3」(本書での呼び方)に続けと、達郎・浜省・みゆき・永ちゃんという「BIG4」(同)が、せきを切ったように次々とデビューした年だった(ちなみに山下達郎と浜田省吾はバンドとしてのデビュー)。

つまり75 年は、まさに「ニューミュージック元年」。ニューミュージック、ひいてはJポップにつながる大河の一滴が落とされた年。

そして、この年を取り上げる理由の3つ目は、内輪の話で恐縮だが、連載させていただいた日刊ゲンダイが生まれた年だったということ。つまり連載時に創刊50周年を迎える記念すべきタイミングだったのだ。

というわけで、75年はいろいろな意味で、時代の変節点だった。さぁ、そんな約50年前の音楽シーンに時間旅行を。

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では「GREAT3」が君臨し、「BIG4」がデビューした75年。音楽シーンを取り巻く時代全体は、どんな雰囲気だったのか。

私の小3の頃の記憶をたどると、今に近い時代の空気が浮かび上がってくる。つまり、連載時にちょうど半世紀前というタイミングに加え、今にも通じる時代の中で生み出された音楽だからこそ、振り返る意味も価値もあると思ったのだ。

まずは何といっても、今と同様に景気がメタメタに悪かった──。

73~74年のいわゆる「オイルショック」の打撃は深刻で「不景気」「物価高」「インフレ」のような文字が、毎日の新聞紙面に飛び交っていたと記憶する。

そういえば、当時の大阪によく発生した「光化学スモッグ」は、「空気を恐れる」という意味で、新型コロナに近いものがあった。スモッグとは、大気汚染によって、夏の暑い日に空気がかすんでしまう現象のこと。

光化学スモッグの注意報が出たら黄色い旗、警報が出たら赤い旗が校門に掲げられ、体育の授業が中止になる。運動が苦手な私はラッキーと思ったものだ。

そういえば「沖縄海洋博」もこの年だった。72年にアメリカから返還された沖縄で行われた、いわゆる「万博」。大盛り上がりだった70年の大阪万博から、たった5年しか経っていないことが影響したのか、そもそものコンテンツの問題か、評判があまりよろしくなかった点については、昨年の大阪・関西万博とちょっと似ている。

そんな中、この年発売の大ヒットといえば、レコード大賞を取った布施明『シクラメンのかほり』に、小坂恭子『想い出まくら』、沢田研二『時の過ぎゆくままに』など。つまりは、先のような時代背景に合わせて、内省的でジメッと暗い曲がヒットしたのだ。また拓郎・陽水風のフォーク調が、音楽界全体に浸透していたこともよく分かるラインアップである。

……とまぁ、そんな時代だったのだ。「歌は世につれ」で、本書で紹介していくヒット曲たちが生まれた前提として、昨今にも似た、こんな重苦しい時代の空気があったということは、知っておいていただきたいところである。

あっ、サイゴンが陥落して、ベトナム戦争が終わった年でもあったな。75年が約50年後の今と本当に共通するのなら、ロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナの戦争も、早く終わってほしいと心から願う。



次に「ニューミュージック」の概論を語っておきたい。

その全貌は、具体的な楽曲を通してあらわになっていくはずだが、まず今回はニューミュージックの「概論の概論」を、世代視点から語ってみる。

すでに述べたように、ざっくりいえば「ニューミュージック」とは、「戦後生まれ世代による自作自演音楽」ぐらいの意味である。真逆のフレーズを書き下すと「戦前生まれ世代の職業作家が提供した音楽」。

例えば、筒美京平は40年生まれ(余談ながらジョン・レノン、麻生太郎と同い年)。阿久悠はさらに上で37年生まれ(同、美空ひばり、森喜朗)。

60年代後半、グループサウンズ(GS)が一大ブームになるが、戦後生まれが多かったGSのメンバー(例:沢田研二は48年生まれ)に対し、筒美京平や阿久悠など、GSの提供曲からブレイクした職業作家たちは、実は戦前生まれがほとんどだったのだ。

そんなGSブームと切り替わるように、70年代前半に爆発したフォークソングブームは、戦後生まれの自作自演音楽によって引き起こされた。

吉田拓郎=46年生まれ。井上陽水=48年生まれ。他にも、岡林信康=46年、加藤和彦=47年、谷村新司=48年、南こうせつ=49年……。

となると、54年生まれの荒井(松任谷)由実が、めちゃめちゃ新世代だったことが分かるのだが、それはまた追って。

そんな戦後世代、団塊世代、「戦争を知らない子供たち世代」が、戦後民主主義の追い風も受けながら、せきを切ったようにラジオから流れてきたビートルズやボブ・ディランなどの洋楽の影響も受けながら、職業作家には決して作れないような、自由な言葉、奔放なメロディで歌い出した!

さらに、そんな音楽を聴いた若者が、いいなぁと感化されて「僕も」「私も」と、みんな歌い出した──。

そう、「ニューミュージック」の「ニュー」とは、以上のようなムーブメントの全体の新しさだと、理解していただければ、おおむね間違いはない。

あれから約半世紀。戦後音楽史の中で、もっとも新しく、そして大きかった「ニュー」なミュージック=「ニューミュージック」というムーブメントを語る意味は、決して小さくないと思っている

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目次の一部

序章なぜ今「1975年のニューミュージック」なのか
第1章 「新」1975年までの矢沢永吉(キャロル)1975年までのはっぴいえんど1975年までの山下達郎(ほか)
第2章 「音」1975年までの吉田拓郎1975年までの井上陽水吉田拓郎・かぐや姫 コンサート・イン・つま恋(ほか)
第3章 「楽」野口五郎『私鉄沿線』風『22才の別れ』チューリップ『サボテンの花』(ほか)
終章「1975年のニューミュージック」とは一体何だったのか