外出の後、昼休みを利用して墓参りに行った。
その最中に読んでいたのがこの新書。
考えさせられる。

墓は父親が建てた。53歳で亡くなる数か月前に。何の相談もなく
てっきり故郷の海への散骨を希望していると思ってたのに。
実家に住み続ける妹に墓は任せているが、
折に触れ墓参りをする。花と線香を手向ける。

著者は、タイトルにもあるように、
墓も、墓じまいも、遺骨もいらない、という。
こういう習慣ができたのはいいところ明治から。
で多よまたまた明治の亡霊。

私も思う。
そのうち日本はみがげ石だらけになってしまうと。
私自身墓はいらないと思っている。
いいところ共同埋葬。樹木葬。
娘らに余計な思いはさせたくない。

そして自分の親の墓。
果たしてどうしたものか。
墓じまい、、、、
結局また金をとる寺。
著者の言うとおり、ほったらかしでいいのかもしれない。

普段宗教と縁がないのに、檀家でもないのに、
亡くなった時だけ通夜葬式、ってのもどんなものか。

妻のご両親は健在。代々の墓もある。
こちらもどうするのやら。妻とその妹の二人。継がない。
墓じまい…

無縁仏、野垂れ死にでいいじゃないか

考えさせられる良書。

 

第1章 なぜ仏教式の葬式をしなくてもいいのか

(多くの人は仏教式の葬式が時代にそぐわず面倒だと考えている;
仏教式の葬式を生むきっかけになった道元の曹洞宗 ほか)

第2章 墓を建てることが強制されてきた

(檀家としての意識のない者にとって、檀家とは何か?;
家によって墓の種類が異なり、墓自体もあったりなかったりする ほか)

第3章 無縁仏にまっしぐら

(墓石の注文が激減―日本人は墓を作らなくなった;
無駄になる終の棲家 ほか)

第4章 無縁仏こそ私たちの願い

(Nスペ「無縁社会」制作者たちの心象風景;
サラリーマン社会の競争の激しさとその代償としての無縁 ほか)

第5章 最後は誰もが野垂れ死に

(「それで生きていけなかったら死ね」―ヤマギシ会の「野垂れ死に研鑽」;
過去、無数にあった野垂れ死にも現代の孤独死も、一人でよく生きた証 ほか)