これぞ体当たり取材。
中国に監視されている新疆ウイグルに、
出版社の支援も何もない、単身で乗り込み、
そこに住む人たちの「ホンネ」を聞き出そうとする著者。

しかしそこはまさに監視社会。
いたるところに監視カメラがあり、当局がいる。
それ以上に、住人そのものが疑心暗鬼で、
ホンネなどいえるわけがない。
それどころか著者が建物を撮影しようとすれば、
当局以前に住人自身が「やめろ」という。

中国にウイグルの言葉とイスラム教を奪われた住人達。
突然収容され「再教育」される住人達。

そして当局の手は著者にも伸び、
スマホデータを消されるのはもちろん、
眠らせないで尋問が続く。実質拷問だ。

ようやく許され日本に帰って、
日本にいるウイグル関係者に取材する。
ここでもなかなか本音は聞けない。
むしろ逆の考えを聞く。
沖縄の若者が標準語を話すのをどう思うのか、と。
ウイグルも元は仏教だったがイスラム教になった、
それをどう思うのかと。
中国のやり方を一概に悪く言えないのではないかと。

確かに、、、
言葉を、宗教を揃えることは国力をあげることにつながる。
これは動かしがたい。
そのほうが全体のパイが増え、一人一人が豊かになる。
そういう側面はある。
それこそアダム・スミスの分業。
生産性は格段に上がる。しかし、達成感、仕事の満足度は失われる
トレードオフ。

これを人の生き方、でどう見るか。
明治維新初期、日本も国民に対し、今の中国のようなことをやってきた。
神仏分離で神社仏閣をやたら壊した歴史がある。
いまだ続く学校教育の原型もこのころにできている。
(だからこそ今の時代に合った教育スタイルに変えることを考えるべきなのだが)
そうして欧米列強と肩を並べた事実はある。

だけど、、、
この本のタイトルの前段一九八四は、まさにジョージ・オーウェルのそれ。
監視社会。
それを地で行くのが新疆ウイグル。1984年から40年たった今日に実現したのだ。
中国本土も似たようなものなのだろう。
日本もそこまではいかないが、犯人の追跡が「防犯カメラ」である程度できる現実がある。

全体と個。
理屈はわかるが、本能的に嫌だな。当局に監視されて自由を奪われるのは。

でもなあ、自分の考えを持たない人間が増えているのも事実。
阿部監督問題がその典型例のようにいわれているけれど。

考えない人は管理していいのかなあ、、、
でもそうなると、為政者にとって、考える人は邪魔になるだろうな、、

 


まえがき
第一章 110番したら54秒で警察はやってくる──ウルムチ
第二章 新疆人は砂とともに生きる──ケリヤ県
第三章 〝神なき宗教〟を信じる人びと──ホータン
第四章 女の子は後ろを振り返らない──ヤルカンド
第五章 タイガーチェア──イリ
第六章 ここには自由がある──カザフスタン前編
第七章 中国の影──カザフスタン後編
第八章 それでもウイグル人である──日本
あとがき