良書だ。
昨夏甲子園を制した慶應義塾高校野球部の長髪が話題になったが、
それが話題になるくらい、野球にはある種の世界がある。
しごき、体罰、鉄拳制裁、丸坊主、水を飲むな。。。

これらがきちんとした文献になることはまずない。
どんなスポーツであれ、そんなことを主題に語ることがない。
そこで著者は、日本で最もメジャーなスポーツである野球で、
関係者が過去の体験を、人によっては美談として、
人によっては暗い過去として、その栄光の裏話として語っている部分を抜き出し、
まとめたのがこの本だ。
あの王、長嶋でさえ、後輩を、監督として選手を殴っている。
私が知る昭和の名選手のほとんどが殴り殴られしている。
星野は有名だったが、ここまで酷いとは、、、

事の起こりは大学野球。
東大、早慶を中心に野球がメジャーになるにつれ、
勝利至上主義で猛練習が始まる。
そこに戦争帰りの選手監督が戻り、
軍隊張りのしごき、いじめ、体罰が始まる。
明治の名将島岡も、長嶋を育てた立教の砂押もひどい。
そしてこれがプロ野球にもひろまり、、、
過去のものでないのがつらい。打ちすぎた清原も被害者だという。
清原の場合はわざと右打ちしたり力を抜いたりして、
かえってバッティングセンスを磨いたからよかったが、
いじめ、しごき、体罰で未来を失った、素質のある子も数多くいたことだろう。
体罰に耐えたものだけが名選手なわけがない。

だからこそ慶應高校の優勝に意味があったのだとは思う。

それにしても今の日本、構造は大して変わらない。
無意味な、非科学的な、反知性的な通念がまかり通っている。
夫婦の苗字が同じでないと子供がいじめられる?家庭不和になる?

そんなことより母子家庭が夏休みを恐れている現状をなんとかしろといいたい。
都庁でださいプロジェクションマッピングをやるくらいなら、
その広場でボランティアの炊き出しを待つ人たちを救うべきだ。

努力しなくて貧困になった方が悪い、という理屈のようだが、
ではお前の努力とは何か。学校の偏差値教育で勝利した、だけのことではないのか。
それでエジプト大学で満足に言葉も話せなかった都知事におべんちゃらを使うのか。
そして天下りして、貧困家庭が水道料金が払えなければ、水を止めるのか。

なんだか理屈は体罰と同じな気がする。
何か理由をつけて、相手に難癖付けて、いじめる。弱者を「正当に」いじめる。

そういうの、やめないか。

 

序 章 体罰の減らないスポーツ界

第Ⅰ部 体罰発生以前の日本野球

 第一章 野球部活動の発生と制裁――明治期の一高野球と早慶野球部
  1 日本野球の発祥と一高
  2 一高から早慶へ
  3 一高と「制裁」

 第二章 野球部の拡大と部員の関係――中等学校の成立と学生野球の組織化
  1 中等学校の整備と学業・健康
  2 中等学校野球部の成立と拡大
  3 対外試合と野球大会

第Ⅱ部 体罰の発生と拡大

 第三章 野球の「近代化」と体罰の発生――大正期の構造転換
  1 甲子園・六大学野球の成立
  2 野球を通じた進学・就職
  3 野球の活発化と強固な上下関係
  4 体罰の発生
  5 戦時下の野球の終焉

 第四章 戦後野球の拡大と激化・日常化する体罰――学生・社会人・プロへ
  1 戦後野球の復活と軍隊経験
  2 高校野球と体罰の日常化
  3 プロ野球と社会人野球
  4 野球以外の種目における体罰の発生と拡大
  5 体罰の問題化と不十分な対処
  6 大学スポーツの構造的変化と体罰の減少

 終 章 体罰なきスポーツ界の実現に向けて

  あとがき
  注
  引用・参考文献