永田洋光さんのコラムをネットで読むにつけ、ラグビー日本代表監督、HCに

望むものが私と共通しているなー、と思っていたが、2000年に出版されたこの本は、
まさにその永田さんの考えを明確に示したものだった。

テーマはラグビーワールドカップ日本代表。第2回から第4回にかけて。

この間日本は1勝しかしていない。
第2回大会、宿沢監督のもと、平尾誠二、吉田義人らの活躍でジンバブエに勝利。
宿沢ジャパンにはラグビーに対する明確な姿勢があった。

しかし、第3回南ア大会は監督は小藪となり、吉田を外し、大型化の道を選び、
その後日本のトラウマとなる、対オールブラックス17-145という屈辱を味わう。
日本代表より企業の論理が勝る時代だった。

果たして第4回は天才平尾が監督となり、スピードラグビーを標榜しているかに

見えたが、明確な方向性を見せぬまま、SHグレアム・バショップと、

No8ジェイミー・ジョセフという2人のオールブラックスを直前にメンバーにし、

アジアでは通用するものの、ワールドカップでは大敗しない試合ができるチーム、

に甘んじた。
天才平尾、自由なラグビーを目指す平尾にして、

日本代表を率いる統率力はなかった。

この本はここで終わる。
しかし、日本代表が何をしてはいけなくて、何をすべきかが明確に浮き彫りにされていることがわかる。
大西鐵之祐、宿沢広朗が目指し、平尾も途中までやりかけたスピードラグビー。
体の小さな日本人が目指すのはこれしかないのだ。
体が大きく動きの鈍い選手を入れてはいけないのだ。

2003年第5回は向井。結果は出なかった。
2007年第6回、2011年第7回、初の外人監督となったカーワンは大きさを追求し、
日本はカナダに連続で引き分けたものの、勝利は遠かった。

2015年第8回イングランド大会のブライトンの奇跡、エディの戦略は明確だった。
動き回ってタックルしてスプリングボクスを翻弄した。
勝利後の中3日のメンタル面を読み切れず、スコットランドに敗れ、

ベスト8は逃したが、
3勝1敗、1995年の17-145の呪縛から逃れたことは明らかだった。

2019年第9回日本大会は4戦全勝でベスト8。ここで活躍したのはダブルフェラーリ、
松島幸太朗と福岡堅樹だった。そしてアシストはティモシー・ラファエレだった。
山田章仁が直前にメンバーから外された。HCはジェイミー・ジョセフだった。

この2019年日本大会があったからこそ、2011年の時点で日本代表強化が

明確になり、
これまで優先だった企業の論理より日本代表、という考えが定着し、
エディは代表候補を合宿に缶詰めすることができるようになったといえる。
その意味では自国開催は大きかった。

2023年第10回フランス大会、2勝2敗。勝つべくして勝ち、負けるべくして

善戦して負けた。
33人のメンバーの選考基準はよくわからなかった。
マシレワ、フィフィタが動けるとは思えなかった。

選んだのはジェイミー・ジョセフだった。

そして2027年オーストラリア大会に向けて、エディ・ジョーンズが帰ってきた。
2023年頭にイングランドHCを首になり、オーストラリアHCとなったものの

若手中心で臨んだワールドカップはオーストラリア初の予選敗退。

責任を取って辞任し、日本代表のHCになった。1年の間に3か国。
オーストラリアの人選は私も疑問が残ったが、2023年を捨て、

2027年に照準を絞っていたのかもしれない。
とまれ日本代表となったエディが掲げるのは「超速ラグビー」。
まさに大西、宿沢の路線を継承している。
代表に誰を選ぶか、ここで彼の真意がわかる。
エディは人選のために日本中を飛び回って、リーグワンから大学高校ラグビーまで

観戦している。
この夏、誰を選ぶのか、楽しみだ。

というわけでこの本に戻るが、著者永田洋光さんはエディ・ジョーンズのような

監督、HCを望んでいた、と推察できる。
最近彼の文章が読めていないのだが、ぜひエディに対する考察を

読んでみたいものだ。

 

プロローグ 20世紀最後の勝利―ワールドカップ’91

第1章 運命―ワールドカップ’95
(祝祭;ひとりぼっちの日本;普通のラグビー ほか)

第2章 4年の歳月(惨劇ふたたび;百年の計;キャプテン ほか)

第3章 ラグビーの聖地―ワールドカップ’99
(開幕;ランド・オブ・マイ・ファーザーズ;もどかしさの集大成 ほか)

エピローグ 素の力