例によって予約はしてあったものの時間がたっていて何の本か覚えていない。

読み始めて、なんで30前後の人の日記に付き合わなくてはいけないのか、と思う。

「恋人」と食事をして、、、なんて書いてあって、違和感を持つ。

「セッション22」「LIFE」「オーバーザサン」に、自分と同じ傾向を感じる。

コロナ、五輪等への発言も。痔ろう、肛門周囲膿瘍になったことも!

ある瞬間に、著者が同性愛者であることがわかる。「恋人」のこと。

そしてややあって、著者が男、つまりゲイであることがわかる。

 

そういうことだったか。

ゲイの立場から社会を見る青年のコラムだったのだ。

同性愛者に厳しすぎる日本社会。

銭湯、トイレ、着替え、、、、犯罪とLGBTを悪意を持って一緒にする政治家たち。

高倉健は愛する女性に看取ってほしくて幼女にした。

愛し合っている同性カップルにはそれすら許されないのだ。

明治時代に作った家庭像に基づいた法律。それが彼ら彼女らを苦しめる。

それをなくしていくのが政治だろうが。

トランスジェンダーが性転換手術をすることに私は違和感を持っていたが、

社会がそうさせてしまうことに最近やっと気づいた。

心と体の性が別だと、生きづらいのだ。

ほんとはメスなど入れたくなくても、そうせざるを得ないのだ。

そういう思いをさせないのが社会だと思うのだが、、、

 

そんなことを思い起こさせる彼の日記だった。

 

鍵をかけない部屋

消毒日記 2020年

隣人的 2021年

私はエラー

大丈夫 2022年

あとがき

 

鍵をかけない部屋 

 

2年前に日記を書いた時は、新しい感染症に揺れる世の中を記録しようと思っていた。 1年前に日記を書いた時は、緊急事態下に国際的な祭典が強行された東京を書き留めておきたいと思 っていた。 今年を迎えた時は、この2年に比べると大きなできごとは起こらないのではないかと思っていた。そ うあってほしかったし、日記を書く理由も違ったものになるかもしれないと期待していた。だけど冬が 終わる頃には新しい戦争がはじまって、夏には2年前まで首相を務めていた人物が銃撃され亡くなっ た。他にも日夜追いきれないほどの事件が起きて、きちんと考える時間もないまま流されていく。いい 方向に進んでいる実感が少しも持てない。どこへ向かうんだろう、そんな思いを抱えながら毎日は続く。 日記を書くようになったのは 15年前、 15歳の時だった。高校入学式の前日に買ったB6ノートで、そ の日の寝る前、実家の勉強机でまっさらなページに向かった時のことをなんとなく覚えている。 実家はもうないけれどノートは今も手元にあって、久しぶりに読み返してみる。たしか新しい学校で の毎日をどんなものにしたいか、所信表明のようなことを書いたはず……そう思いながら表紙をめくる 4 と、「日記を買った」「明日の入学式のことで親と一悶着あった」と短く書いてあるだけだった。たった 3行の箇条書きのような文章で、その日自分がどんな気持ちでいたのか、詳しく知ることができない。 翌日からは学校生活がはじまって、新しい友達のこと、勉強のこと、その日の気分のこと、聴いてい た音楽や薦められて見たアニメの感想などを綴っている。相変わらず表情のない記述が多いものの、読 み進めていくと、少しずつ心の内を具体的に記した文章が登場するようになる。長く言葉を続けてい るところもあれば、一言で的確に言い当てようと試みているところもある。むらがあって、まだらな文 章。だけどそれがかえって、内的な言葉を獲得していく過程の生々しい記録に思える。 もともと人と話していて、自分の意見を口にすることが少ない子どもだった。一対一で話している時 には相手が望む返答を無意識に考えていたし、複数人の会話では場のルールに則った言葉をいつも探し ていた。 酔うと乱暴になるが普段は言葉数が少ない父親のいる家庭で、空気を読むことを習慣化しすぎたのか もしれない。自分が男性に惹かれることは幼少期からなんとなく気づいていたけど、どうやらみんなは そうではないらしいと理解してからは、女性が好きな男のように振るまうようにもなった。色々な嘘を つく必要があったし、整合性を保つことを最優先にしていた。重要なのは、トラブルが起こらないこと だった。体裁を取り繕いながらいつも混乱していて、ますます感受性は麻痺していった。相手が何を考 えているか、怪しまれていないかを察知するために頭をめぐらせてばかりいたせいで、次第に自分が何 を考えているのか、そもそも何かを感じる必要があるのかさえ、よくわからなくなっていった。波風を 鍵をかけない部屋 5 立てないよう、水面下にじっと身を潜める。そうして毎日をやり過ごしていた。 ノートを買った時、そんな自分自身をどう思っていたのかはわからない。だけどその日のできごとを 記すことは、私の中に新しい流れを呼び込んだ。最初は弱くか細い水流が、周囲を砕いて徐々に太くな っていく。淀んでいた水が入れ替わっていく。気づくと私は、その誰にも見せない日記を「自分が本当 に何を感じているのか知りたい」という目的で書くようになっていた。 生活をしていると、その時はうまく言葉にできなかったことや、引っ掛かりを覚えつつ手放してしま うことがある。真夜中になると、机の前に座り、頭の中でその場所へと引き返した。落とし物を探すよ うにあたりを見わたして、見つけたものがあればこっそり持ち帰る。周囲の状況もよくわかるので、学 校や家庭、人間関係のルールを問い直して自由になることもできた。日記を書くことは、いつの頃から かそんなふうに、自分にとって欠かせない習慣になっていた。 そうしてずっと日記をつけていたけど、大学を卒業して働きはじめると、仕事に追われて書けなく なってしまった。ふと思い立って日記を再開したのは、忙しさにようやく慣れてきた頃の正月休みだっ た。今度はノートではなく、Evernote で。再開初日の日記には「1日が長いと感じられる日が、時々で もあるといい」と書いてあって、たしかにこの頃はひどく疲れていたなと思い出す。行間を読んで想像 できるくらいには、感じたことを記録できるようになっていた。 その後はEvernote の内容をベースにした日記を、時々インターネットで公開するようになった。その 日記をまとめて、2020年には『消毒日記』、2021年には『隣人的』というZINEを作ったこと 6 もあった。 誰かに読まれる日記を書く時は、意図的な取捨選択や編集が入り込む。それでも、まずは誰にも見せ ない日記と同じように、自分自身に向けて書くように意識している。日記を公開することは、そうして 書いた言葉を広場(例えばSNSのような)で読み上げるのではなく、誰でも自由に出入りできる鍵を かけない部屋にそっと置いておくイメージに近いかもしれない。 閉じた日記から、少し開かれた日記へ。その変化を起こしたのは、政治的に納得できないことや不正 と思えるできごとを後世に伝えておきたかったからだし、いまだ異性愛が中心の社会で、ゲイ男性の生 活を、日々を記録する日記という形式で発信することに意味があるんじゃないかと思ったからでもあっ た。そうすることで、自分をいないことにする力に抗いたかったのだと思う。 「本当に何を感じているのか知りたい」という、 10代の頃に抱いた思いもなくなっていない。ただ当時 とは少し中身が変わっていて、今はあの時のように会話の中で自分を見失うことが少なくなった代わり に、SNSに溢れる言葉に翻弄されるようになった。勢いのある膨大な言葉に飲み込まれないのは難し くて、よく失敗もしている。部屋の中に、広場の喧騒が忍び込むのを許している時がある。ただ、不完 全だとしても、少しでもましな状況にしようと努めることには意味があるはずだ。 日記を読み返せば、そこには思っていたのと違う自分がいる。たった2年前に書いた日記でも、今読 み返すと、文章がごわごわしていると感じる。今だったらもっと別の考え方をするはず、もっと深掘り 鍵をかけない部屋 7 できるはず。そう思う箇所もたくさんある。コロナ、オリンピック、政治、多様性、気候変動……価値 観がめまぐるしく変わるから余計にそうなのだろう。 だけど、過去の自分から浮かび上がるものはある。そうして恥ずかしさに直面する時、ぎこちない微 調整や失敗を経て今日があるのだと、疼きながらも実感できる。 記録をたどると、自分をちぐはぐに感じる。それでいいのだとも思う。滑らかな連続性があると考え ている時こそ、本当は都合よく何かを切り捨てているかもしれないのだから