東京新聞の記者といえば有名なのは望月衣塑子さんだが、この片山夏子さんもすごい。
ある意味もっとすごい。
9年間、福島原発で働く作業員たちとコミュニケーション、のみにゅけーしょんを積み重ね、本音を聞く。
現場の声、最前線の声、ある意味最下層の声だ。

3.11以降の政府、東電の対応とのギャップがすごすぎる。
放射線被ばくのリスクと戦いながら、福島を立て直すため、と働く彼ら。
つらい作業で食事と酒しか楽しみがなく、10キロ太るものが続出。
太るだけならまだましで、健康を害するもの、中には急死するもの。
それを労災と認めない会社。
会社といっても元受けからはるか下の下請け。上の会社が認めない、認めたら発注しないと、、

そして手当。最初はいい手当、危険手当もあったが、時間の経過とともにどんどん悪化。
東電を守るため。

東電社員も現地社員がどんどん辞めていく。切り捨てられる。

のうのうとしているのは東電本社、そして政府。
危険区域が減らされていく。対外的に。「アンダーコントロール」のウソ。

・・・事件は現場で起きている、ではないが、安全な場所にいるお偉方と、現地で危険にさらされながら作業している底辺の人たちのギャップが浮き彫りになる。
この本、ルポルタージュ、ノンフィクションのすごさはそこにある。
ノブレスオブリージュではないが、本来お偉方はこうした底辺の人たちの気持ちを、いや待遇を救うべき。
それが逆に、日本のために、と切り捨てる。世襲政治家、エリート官僚、エリート会社員は現場がわからない。弱者が理解できない。自分の身のみ守ろうとする。
そうしたことが見て取れる。

・・・こうした弱者は選挙、どうしてるんだろ。あきらめてるのか。選挙にいかないのか。あるいは行って、現状を肯定しているのか。
国が貧しくなれば、どんどん弱者が増える。昨日まで勝ち組にいたと思っても、簡単に蹴落とされる。
その時気づいても遅い。
国の在り方、社会の在り方、組織の在り方。
誰も自分のことは守ってくれないのだ。自分が動かない限り。

ある意味絶望的な気持ちになる。
唯一の光は、作業員たちの仲間意識、福島を守る、原発を何とかするという意思、そして彼ら自身の明るさだ。
・・・だが同時に、個人の意識に頼っていい問題ではないとも思う。

考えさせられる本だった。

 

1章 原発作業員になった理由―2011年
2章 作業員の被ばく隠し―2012年
3章 途方もない汚染水―2013年
4章 安全二の次、死傷事故多発―2014年
5章 作業員のがん発症と労災―2015年
6章 東電への支援額、天井しらず―2016年
7章 イチエフでトヨタ式コストダウン―2017年
8章 進まぬ作業員の被ばく調査―2018年
9章 終わらない「福島第一原発事故」―2019年