映画「新聞記者」のモデル、というより、菅前首相に拒絶されるほどの厳しい質問を浴びせる東京新聞記者望月 衣塑子(もちづきいそこ) 富山県のチューリップテレビの元アナウンサーにして映画「沈黙の山」「はりぼて」で、富山県の知事、議員を鋭く切る映画監督五百旗頭 幸男(いおきべゆきお) この二人の文章と対談でこの新書は成り立っている。 望月は国政から、五百旗頭は地方行政から、メディアという立場で今の日本の政治を取材、質問する。 新聞記者、i新聞記者ドキュメントはアマゾンプライムで鑑ることができるそうだ。週末見よう。 沈黙の山 は、立山を冬も観光資源にしようと思い付きでぶち上げた知事が、気象条件の厳しさを知り実質的にそれを取り下げるまでのドキュメント。 知事がぶち上げればそれに同調する新聞社をはじめとする取り巻き。 はりぼて は、腐敗議員の集団辞任の一連の動き。 しかし、議会のドンなどベテランが辞任したことで、かえって議会は富山市長の横暴さが目立つようになったという皮肉。 ふたりは戦っているのだが、メディア全体となると、みないいこちゃんになってしまっている。 まあ、メディアに入社する人材といえば、優等生かコネか。 正解を探すことにさとい優等生は、取材といえば政治家が話すことを正確に聞き書きすることで、筋の通らないことに質問する、などは眼中にないのだろう。 コネはいう必要もなし。 メディアがこうだから、政治家もどんどん腐る。他人の目がなければ易きに流れるのは人の常。 緊張関係が必要なのだ。 それが、政治家も世襲、メディアもテスト優等生では、話にならないのだ。 ここで政治家が暴走すれば自分の生活が脅かされる、という危機感はないのだろうか? とりあえずサラリーマンとして波風立てなければ、メディアは大企業、いい給料がもらえる、と思っているのだろう。 規制緩和はここでも必要なのだ。大企業は守られている。記者クラブしかり、放送権益しかり、、。 そうしていくうちに日本全体が沈んでいく。 それなのに大企業の連中は、自分はまだ大丈夫と思いこむ。 最悪。 守られていない人たちも、なぜか危機感がないのだろうな。 だから選挙に行かない。つまり現状を追認している。 やはり沈むしかないのかな、日本。
第一章 安倍・菅政権の罪とメディアの使命 望月衣塑子 第二章 私的ドキュメンタリー論 五百旗頭幸男 第三章 権力を監視するメディア再生のために 第四章 自壊メディアの現実を超えて、新たな地平へ あとがきにかえて 「緊急事態」の国内メディア 五百旗頭幸男 あとがき 権力維持が目的、手法は恫喝の政治 望月衣塑子