あいち朝日遺跡ミュージアム

 

 

弥生時代の遺跡の出土品が多数展示されており、

その時代の生活が学べる施設です。

 

 

前記事①のつづきです。

 

 

この朝日遺跡がどのようにして盛り上がっていったのかの説明がありました。

 

 

【弥生時代初期】

南側の集落は径150mほどの規模。

西日本からの文化が入ってきていたらしい。

 

北部は縄文時代の暮らしが残っていたよう。

 

 

 

【弥生時代中期】

100~200年の間にずいぶん大きな集落が出来てきました。

北部地域の南側には防御施設が築かれ、すでに争いが始まっていたようだ。

あと、玉作りや木製品作りも始まっていたようです。

 

 

 

【弥生時代後期】

この頃、瀬戸内や近畿地方の影響を受け集落の構造に大きな変化があったそう。

環濠が掘られなくなり住居区画が不明瞭になったと書かれています。

古い墓の上に新しい墓があったり… どうやら洪水の影響を受けたとも。

 

 

 

【弥生時代末期】

北部と南部に再び環濠が掘られるものの、集落は衰退。

川の流れが変わり住みづらくなったのか…、平和な未開の地を求めていったのか…

 

 

 

出土品の展示エリアへ

 

土器

 

 

銅鐸(どうたく)

 

弥生時代中期~後期に作られたものだそうです。

 

銅鐸って古墳時代から流行りだしたのかと思っていました。さらに前からあったとは…

 

 

ガラス小玉・勾玉・管玉

 

 

銅鏃(どうぞく)

 

銅鏃アップ

 

 

銅鏡

 

 

土製品

 

 

土玉(どたま)

ちょっと前に流行っていた「泥団子」の元祖やん

 

 

垂飾(装飾品)

 

 

農具

 

 

木偶(木製の人形)

 

顔アップ! 穏やかなええ顔してる

右にように何も書かれてないのもあるらしい

 

 

 

企画展へ足あと

 

 

只今『S字甕(えすじがめ)』展 開催中!

三重県で発掘された物も多数展示されていました

 

 

 

大きなS字甕や、 

 

小さなS字甕まで… 

 

ちっちゃいのは祭祀用か?との記載がありました。

 

さっきの顔付き人形といいミニチュア土器といい、当時の子供も見たら喜ぶやろに。

私も喜ぶわ

 

 

 

②終了~!

 

③へつづきます

 

 

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