田村神社つづきです。

 

 

 

この付近歩いていると、やたら「福豆」「福豆」の文字が目につきましてニコ

 

 

どうやら、

毎年2月にの厄豆落しの神事があるようです…

 

 

厄落しの由来 

田村大神ある夜夢の中に 

悪しき年にあたるとも諸々の災難を除かんは、

社殿前を流る御手洗川に 

節分の福豆を年の数だけ東に向かい祈念をこめて流さば 

禍(わざわい)は流れ去る。

これより厄落としとして己が厄災を祓う事が慣例となる。

 

 

その豆を流す所

神事の名残… 橋の真下に豆袋が4~5袋落ちていました。

HPより。買ったら流さずに持ち帰ってもいいらしいです。

 

 

ずんずん奥に進んで行きます足あと

遠くに本殿が見えてきました。

 

 

その手前、

「願成就の清め道」 という田村川に続く道があったので行ってみることに足あと

 

 

 

 

川までズボッと入れるようになっていましたが、

「絶対に川に入らないでください」「階段が壊れています」

の看板がありましたので、

↓これ以上近づくのはやめましたニヤニヤ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

戻り、本殿へ向かいます足あと

 

 

 

本殿

 

祭神:坂上田村麻呂

 

この方、蝦夷討伐の征夷大将軍として学校で習った覚えがあります。

 

 

 

どうやら、代々、武芸に優れた一族らしく、

あの清水寺の建立者だということを今年になって知りましたビックリマーク

 

 

 

本殿前にある 矢竹

 

坂上田村麻呂は、

 

「鈴鹿山中の鬼を退治し平定した。

これよりこの矢が功徳をもって万民の災いを除く。

この弓矢が落ちたところに私を祀りなさい」

と、言って矢を放ち落ちたところから青々と芽が生えてきた。

 

それが現在の矢竹となったと伝えられているそうです。

 

 

その全貌↓

 

 

どうやら当初、田村神社はここではなく、

滋賀と三重の県境にあったようで…

 

↓地図にも載っていました

 

 「田村神社跡」 の印の所

 

 

垂仁天皇代…

甲可翁が 高座大明神を土山(現田村神社)に祀る

 

???年…

坂上田村麻呂が矢を放ち、落ちたところに私を祀りなさいと言う。

 

811年…

坂上田村麻呂が病で亡くなる

 

812年…

嵯峨天皇の勅により 田村神社(※鈴鹿峠側)に坂上田村麻呂の祭壇が設けられる

 

822年…

坂上田村麻呂を土山の高座大明神のそばに移す→高座田村大明神とする

 

1872年…

高座神社と改称

 

1887年…

田村神社と改称

 

1907年…

鈴鹿峠側の田村神社が三重県亀山市の片山神社に合祀される

 

(Wikipediaより)

 

 

 

写真には写りませんでしたが、鯉が泳いでいます

 

 

 

橋を渡ると、

天満神社祝谷神社

 

由来等分かりませんが、…まぁ合祀されたんでしょうね⛩⛩

 

 

 

 

参拝終了~足あと

 

思たより広い境内で見ごたえのある神社でした。

 

田村神社、、

歴史に興味をもち始めた9年前以前から気になっていた神社でして

やっとこさ行けたという感じです。

いつでも行ける… と思うとなかなか行かないもんですね。。

 

 

私の神社巡りはご利益目的は一切無く、

その神社の歴史(建立目的や祭神の生い立ちなど)に興味があってまわっています。

そんなこんなで、、

今年も、ちょびちょびと新しい歴史の発見が出来たらな~ と思います足あと