つづき

 

 

本丸跡を満喫した後は、

↓階段を下りて三の丸広場へ行きました足あと

 

 

 

 

段段の石垣、、迫力あります!

 

 

でも、城の絵図を見るとこれは再現されたものでは無いっぽい!

風情残しつつの土砂崩れ防止かなぁ!?

 

 

 

 

途中、こんな解説板あり。

野ざらしなので劣化がひどいです。

 

 

1594年 九鬼嘉隆、鳥羽城築城

1597年 息子の守隆に家督を譲る

1633年 九鬼家国替え後、内藤重忠入城

1680年 内藤忠勝、刀傷事件を起こし領地没収

1681年 土井利益、城主になる

1691年 松平乗邑、藩主になる

1710年 板倉重治、藩主になる

1717年 松平光慈、藩主になる

1725年 稲垣昭賢、藩主になる

1726年 稲垣昭央、藩主になる

1786年 稲垣長以、藩主になる

1787年 稲垣長続、藩主になる

1792年 大風雨により櫓流失、石垣と城壁大破

1800年 暴風により城壁大破

1824年 稲垣長剛藩主、藩校設立

1865年 稲垣長明、藩主になる

1866年 稲垣長行、藩主になる

1868年 稲垣長敬、藩主になる

1871年 廃藩置県により城の櫓、門など撤去

1875年 二の丸・三の丸払い下げ。本丸のみ官有地となる

1876年 蓮池の堀を埋め立て錦町成立

1878年 二の丸・三の丸跡に士族合資の造船所設立

1929年 鳥羽小学校建設

1965年 県の史跡に指定

 

 

 

 

↓ざっくりこんな事が書かれていました…

 

1594年に九鬼嘉隆が築城されたことになっているが確定はされていないらしい。

野面積みの石垣を見ると九鬼家の段階である程度の城郭は整備されていたと考えられる。

 

九鬼氏の国替え後、譜代大名であった内藤重忠が城主となる。

西念寺を藤之郷(現鳥羽4丁目)に移すなど幕末までの鳥羽城の姿は内藤氏による時代から大きく変わりない。

 

内藤忠勝による殺傷事件で領地没収となり、その後は短期間で城主が入れ替わる。

稲垣氏が城主となりようやく落ち着く。

 

明治時代に入り、建物は取り壊され堀は埋め立てられる。

跡地には、幼稚園や小学校、市役所や文化会館が建設された。

 

 

 

九鬼嘉隆の歴史についてはこの後行った歴史文化ガイドセンターと内容が被りますので省きます。

 

 

 

 

要約すると…

 

鳥羽城は海城らしく大手門が海側に設けられている。

四方を海で囲まれた全国的にもまれな特徴をもつ。

 

鳥羽城の天守は三重で規模は5間×6間。

↑Googleで計算したら約30坪て出たんですけど合ってますかね。

高さ19.5m。

天守下には蔵もあった。

 

 

 

三の丸広場

 

 

下から見た石垣。

 

 

 

 

ハトを見つつ見られつつ…

 

 

鳥羽城跡の外周をぐるっと歩き…

 

 

 

相橋(あいはし)足あと

 

 

妙慶川(みょうけいがわ)にかかる橋。

伊勢国志摩国国境だったところです。

 

 

妙慶川

 

 

石積みは江戸当時のものらしい。

 

 

 

 

相橋前にある

大山祇(おおやまづみ)神社にも行ってみました⛩

 

 

 

 

急な坂道をズンズン上がっていきます足あと

 

 

 

境内にはこいのぼりがいっぱい🎏

 

 

 

 

愛媛県にある島 大三島の大山祇神社の末社だそうで、現在の建物は1907年に建てられたものらしです。

 

九鬼嘉隆が鳥羽城を築城する時には丘の上にあったらしく、もともとの創建は不明のよう。

城工事の際、石垣が何度も崩れるので今の場所に移したとの事。

当時の神社の記録書は火災により焼失したそうです。

 

 

 

拝殿

 

 

 

 

ちなみに大山祇神は山の神で天照大御神の遠い兄弟姉妹。

天孫降臨したニニギノミコトの嫁さんの親

 

 

 

静かでこぢんまりとした神社のように思いましたが、神社のFacebookを見ると年中行事の度に活発に活動されているようです

 

 

 

鳥羽城→ 相橋→ 大山祇神社 とまわったんですが、昼ご飯までの時間が余ってしまい、鳥羽市歴史文化ガイドセンターで九鬼嘉隆水軍展を見ることにしました。

 

つづく…