九鬼水軍と海城でおなじみ
鳥羽城
大型連休中の平日に行ってきました
(写真が多いので3回に分けて更新します)
駐車場はあるけど場所が分かりづらいということで、グーグルストリートビューで入念にチェック
駐車場(↓案内図でいう④)側の道は一方通行になっているので事前のチェック必須です。。
鳥羽水族館もごっそり入るほどの規模!
こういう新旧の地図見るのむっちゃ好き。
案内図横の階段を上がっていきます
上がってもまだ階段
上がりきると城山公園という広場に。
ダサい看板が邪魔
映えスポットになっています。
そこからの眺め
看板通りに本丸跡へ
ズンズン歩いていきます
途中、断崖の石垣を見つつ…
通路途中に 鷹羽龍年(たかのはりゅうねん)氏の鳥羽城を詠んだという詩碑が現れました。
なんて書かれているのか気になって検索したんですけど全く出てこなかったです
市もわかってへんのかな?
残して置いとくなら先生の漢詩を解読するかこの石碑の版画をとって解説して欲しい
ちょっと歩くと、
なにやら歴史のにおいを感じる石垣が現れました。
こちらの石垣、
関ヶ原の戦い以前の、、九鬼嘉隆城主時代のものの可能性があるそうです。
角っこは長石と短石を組み合わせた算木積らしい。
石は海岸部で採取されたものだそう。生々しい歴史ですね。
本丸跡です。
答志島には九鬼嘉隆の首塚と胴塚があるようです。
↓向かい側の大きな島が答志島
本丸は旧鳥羽小学校の運動場として使われていたそうで…
今はだだっ広い広場になっています。
ところどころに解説板があります。
天守跡…1680年に作成された鳥羽城の財産目録には城内の事が非常に詳しく書かれていたようです。
・望楼型 三層天守🏯
本丸御殿跡… 八畳敷、九尺の床(2.7m)、六尺の書院床(1.8m) 有り。
立派なのかどうなのかいまいち想像つきませんが、、
「大変格式高い書院があった」と書かれていますので当時としてはそうだったんでしょうね
大井戸跡… 井戸の直径2.7m、深さ45m(現17m)
2013年の発掘調査でフタを外したけども、今はまた埋め戻されたそうです。
井戸には龍が住み、相島(現ミキモト真珠島)まで通じているという伝承があったみたいです
江戸時代の創作ですかね。戦国の当時は龍だの何だの言ってられない生活に無くてはならない水道管。
本丸跡を満喫した後は、来た道をちょっと戻って
↓三の丸広場へ
階段を下りて、今度は下から石垣を見ます。
つづく🏯