こどもの頃から、
学校に行っている間に、父や母がしんでいるかもしれない。という恐怖がいつもありました。
 
父や母がしんでしまったらどうしよう?
 
 
そんな恐怖は、大人になってもずっとありました。
 
 
ある時、父の友人が60歳直前で急死しました。
葬儀のあと、
ご友人のご家族がうちの焼肉屋に食べに来てくれました。
 
 
その時
ご家族が誰も泣いていなかったのです。
 
 
私は驚きました。
 
 
ご家族も以前からよくうちの店に食べに来てくれていたので、私も親しくしていました。
 
 
私は父に質問しました。
 
 
「なぜ、ご家族は泣いていないの?」
 
 
父が教えてくれました。
 
 
 
あの一家は 宗教 をやっている。
そしてその宗教では、
この世を終えると、もっとよい世界に行けると信じている。
だから、
「おめでとう!おつかれさま!」と
送り出すんだよ。
 
そして、自分達もこの世を終えたら、
もっと良い世界で
再会できると本当に信じているから
泣いていないんだろう、
 
 
と、言いました。
 
 
 
私はそのとき雷に打たれ電流が流れたような気がしました。
 
 
 
私は
絶対に誰にでも訪れる別れが
怖くてたまらなかったけど
 
 
そうか、それは、
もう2度と会えないと思うから
怖くてたまらなかったんだ。と理解しました。
 
 
 
そのとき、
その言葉はまだ知らなかったけど、
設定変更出来たのだと思います。
 
 
死とは?
 
永遠の別れ
もう2度と会えない
 
もっと良い世界
悲しみも別れも苦労もない喜びばっかりの世界
= 天国 で、
また再会できるもの。
 
しかも、「おつかれさーん、がんばったねー!」と
言われるような
本当の世界は天国で、
 
このいまの現実は、
喜びしかない世界から、ちょこっとの間、
ゲームみたいな冒険の旅に来ているだけ。
 
 
 
そんな設定にしてから、
父や母が死ぬことを
異常なほど恐れることがなくなりました。
 
 
実際、母がなくなったのは、
それから15年くらいたってからなのですが、
私は
 
 
「また会える、また会える、
お母さんはもっとずっと良い世界に先に帰っただけ」
 
「この世は、あっという間。
あっという間に終わってしまって、
お母さんにまた会える」
 
 
どうしようもなく苦しくなっても
それを思い出し、
何度も唱えると楽になりました。
 
 
 
私はいま、愛猫が6匹いますが、
みんなシニアです。
 
 
いまいる猫たちは、
私が初めて 愛 という感情を教えてもらった存在です。
 
 
私はこどもがいません。
が、
 
 
本当に自分のこどものように、愛しています。
 
 
別れが怖くて怖くてたまりません。
 
 
だけど、それがこの世の理なのだから、
その日は誰にでも必ずくるのです。
 
 
 
だから、不安に潰されそうなときには、
唱えます。
 
 
また会えるからだいじょうぶ。
ずっと永遠にいっしょだからだいじょうぶ。
この世は瞬きくらいしかない。
終わったときに、きっとそう思う。
だからこそ、
あっという間のこの世を
思う存分、味わおう!
 
 
 
不安ばかりを見る思考の癖が強い私は、
いちばんの不安と恐怖
イコール
愛するものとの別れ を
 
 
 
このように設定変更して、
ものすごく楽になりました。