③まできてやっと、
タイトルの【恋愛本を読んでもダメだった6年間】について書ける。
いつもながら、迷走中。
でもこうやって、いつも自分に向き合ってるから、
私の現実は、自分の欲望に沿って叶ってきてる。
何度も言う。
自分に向き合ってから、
そして被害者意識を辞めて、
原因を自分として考えるようになってから、
(現実は自分次第で変えられるという考え方)
私の人生は ずっと右肩上がり♥
30歳で 恋愛本 を知り、
男の心理・女の心理 を学んでからは、
それまでの恋愛と その後の恋愛が 180度変化した。
“そうか、私は愛されたかったのに、愛されない行動を取っていたんだ。”
それを心底体感し、
それからは恋愛がうまくいっていない女子に、恋愛本を薦めてきた。
だけど、3年ほど前から、
私自身の恋愛がうまくいかなくなってきた。
そのおかげで、いまこうして、自分自身を振り返りながら、
改めて、うまくいったときの方法を見つめ直してる。
そして思い出した。
30歳でモテ人生が始まった。
恋愛本を読んでからは、本当によくモテた。
追いかけられる恋愛になった。
デートするようになった男性からは、だいたいプロポーズされた。
だけど、36歳まで、
本当のことを言うよ
本当のことを言うよ
失礼だけど、言っちまうよ
寄ってくる男の質が
極めて悪かった。
クソ悪かった。
人間性が???な人ばっかだった。
私には送り迎えもしてくれるし、
いつもお土産をくれたり
素敵なレストランに連れて行ってくれるけど、
車の窓から、タバコをポーーーイってしたり、
お店の店員さんに偉そうだったり・・・
働いてない人もいた。
働いていたときの預貯金などで
私にはいつもごちそうしてくれたし、プレゼントもくれたけど、
人からお金を借りていたらしく、返してと迫られたときの彼の言葉が
「ないものを返せって言う人間性が信じられない」
「ナイ人に返せって言える人は、そいつにしねっていってるのと同じだ。」
だった。
*忘れられないほどのキョーレツ2選だけど、他も酷かったよ
本当に心底クズだと思うような男に大切にされても
ぜんぜんうれしくなく、
付き合う事もなかった。
ただ私は、
コイツクズだなぁーと思っても、
そいつがクズなのだと言うところで終わりにしなかった。
いつも、そいつは私の映し鏡なのだと思って、
そいつに言いたいこと = 自分が誰かが言われていること(投影の法則)
だと考えて、
いつも自分事になるまでノートしていた。
その頃の私の周りは、
男もクズだったけど、
両親もクソだったし、妹もクソだった。
つまり、投影の法則で言えば、
私がめちゃくちゃクズでクソだったってこと。笑
周りの特徴=私の特徴 はその頃、
自分さえ良ければ良くて
周りを自分の損得のために利用し
自分が悪くても被害者意識だった。
振り返れば、周り=自分そのもの だった。
そこをどんどん辞めていった。
だけど私はその頃、表面的にはすごく良い人間だったと思う。
イヤなことでも頼まれたら我慢してやっていたし、
人に嫌われないように生きていた。
給料をもらえなくても親のために働いていたし、
父親が無責任に餌やりだけをして増えてしまった野良猫のTNRを身銭を切ってした。
クズ男達からのプレゼントは喜んで受け取ったけど同等のお礼も必ずしていた。
それでも人生がなんだかクソで、
なんかおかしいってずっと思ってた。
そして、やっと気が付いた。
投影の法則の落とし穴
鏡の法則の落とし穴
勘違いしやすいところ。
私はそれまで、
投影の法則を学んで、良い人になろうとしていた。
例えば、大切にされたいときには、
相手を大切にしていたのだ。
だって、映し鏡だから。
本当のことだって言う体感もあった。
私が野良猫を大切にして、世話をするようになったら、
世界中で猫ブームが起きた。
猫を大切にする人がどんどん増えた。
私がゴミを捨てないようにしたら、
ゴミをポーーーイする人を見なくなった。
(それまではペットボトルのゴミ箱に平気で普通ゴミを入れたりしていた)
だから、相手を大切にする人間になったら、
私も大切にして貰えると思っていたのです。
だけど、気が付いた。
みんな鏡。
鏡なのだとしたら?
私が猫を可愛がれば、猫を可愛がる人が増える。
私がゴミは所定のゴミ箱に捨てれば、まわりの所定のゴミ箱に捨てるようになる。
私がAくんを大切にしたら?
周りもAくんを大切にするようになったんです!!!
A君自身も含めて!!!!
ギャフン
そのことに気が付いてから、
私は私自身を大切にするようになった。
私を大切にしない人からは、離れた。
私を大切にしない人にヘラヘラしていることは
私が“私を大切にしなくてOKよ~”とOK出してるのと同じだと思ったから。
そして、どんな人間に愛されたいのかを書き出して、
自分がそういう人間になれるように設定を変えていった。
その頃は設定という言葉を知らなかったけど、
“前提” “思い込み” が映し出される世界だと確信&腹落ちしていたから、
それを変えることは世界(現実)を変えることなのだという確信があった。
特に家族が私に対して最低だった。
最低だったというのは いま思えば で、
その頃はそれが当たり前の家族だった。
例えば、
小学校の卒業式のあと、生徒はバラバラの中学になる学校だったので、
子供たち同士で集まってお別れパーティーがあった。
私はもちろん行けなかった。
卒業式の後は、店も忙しいから手伝うのが当たり前だったし、
友達と遊ぶことは、うちでは“自分勝手”だった。
試験勉強もそうだし、風邪や怪我、アトピーでも湿疹でも同じ。
店が何よりの最優先で、
風邪を引くことすらうちでは“自分勝手”だった。
だから当時、腰痛と黄色い抽出液が出て服が張り付くほどの湿疹が全身に出ていても、
店を休むことはなかった。
うちではそれが当たり前で、
母は子宮全摘の手術をして退院した日から店に出たし、
そんなに具合が悪い日でも店を休むことは、自分勝手であり、家族への裏切りだったから、
入院すらも家族(私も含む)に責められるのでなかなか出来ず、結果、全摘になってしまったのだ。
それまではそれが最低だと感じてはいた。
最低の家だと感じてはいた。
でも、絶対的当たり前の事だった。
そして私も、それに従っていた。
だけど私は、店を休まなくても、
事務所で休憩を取ることを選び始めた。
ぎっくり腰になったときだ。良く覚えている。
いつもなら、コルセットを二重にし、テービングでガチガチに固め、店に出ていた。
でも、事務所で横になっていた。
まず妹が怒鳴りつけてきた、
店がこんなに忙しいのに良く寝ていられるね?!
こっちの負担がどれだけ増えてるのかわかっていて寝てるの?!と猛攻撃。
そして母はにらみつけて、
いいよいいよ寝ていれば。
その分、お母さんが働けば良いと思ってるから寝てられるんだろ?バカにしやがって!と言ってきた。
父は嫌みと無視、その後「お前ほど自分のことしか考えられない人間はいない、といった。
そして、猫たちに当たりちらし、事務所から追い出した。それが私には一番効くと知っていたのだ。
それでも私は自分を守った。
そのとき、
私をいじめるのはこの人達(家族)だ。と確信した。
私はここ(家族)から逃げなければならない。
それが何より、自分を大切にすることなのだと理解した。
私は猫たちを連れて実家を出る準備を始めた。
当時、震災直後で格安になっていた 那須 で物件を探し始めた。
お金のアテなんてなかったけど、とにかく動き出した。
仕事も探し始めた。
そしてまもなく、いまの旦那が現れ、
実家から連れ出してくれたのだ。