色々忙しく…更新できなかったので、久しぶりに立て続けに更新します!!

先月末、私は大好きだった職場を退職しました。
その最終出勤日は、私の人生に忘れられない一日になりました。
長文になりますが、喜びをシェアさせて下さい。

最終出勤日は午後からの出勤でした。
同僚たちは、
お客様との交流の時間を取らせてくれるために、あくせく働き、私はゆっくり過ごさせていただきました。

... そして、いつものリハビリ後の脳トレの時間。コピーを取って来てと言われ、退室。そして、デイに戻ってくると、同僚みゆきちゃんの声で…
「卒業生、入場~!」
なになに?と思いながら、手を引かれて行った先には、お客様とデイスタッフと、仕事の合間に訪問看護からきてくれたスタッフが拍手で私を迎えてくれました。
みんな、私の知らない間に企画して、内緒にしてくれていたんです。12人いたお客様も全員仕掛け人!
ホワイトボードには、「祝!卒業!まゆこめちゃん、がんばって!」の文字と似顔絵が。

そして始まったのが、なんと私の卒業式!
写真にある式次第の内容にある通り、開会の辞から始まり、在校生送辞(80半ばのYさんと94歳のIさん)、アドリブで校長先生と言われた70後半のKさんからの卒業証書授与、式歌斉唱(贈る言葉)、全員での記念撮影など
私はもちろん、お客様もスタッフも大号泣の卒業式でした

在校生送辞では、「まゆこめちゃんは、お嫁に行くまで辞めないと約束していたのに、あっさり裏切られました。でも、私達は一切恨んでいません。素晴らしいことだと思います。~中略~そのままの優しさを忘れずに素敵な看護師さんになって、多くの人の灯となってください!おめでとう!」とYさんに本当に温かいお言葉を頂き、その後Iさんに握手をしたら、抱きつかれて号泣してくれました。もちろん私も。こんなに温かい涙流したことありません。

そして、茨城訛りの校長先生は、言葉を詰まらせながら一生懸命、想いを伝えてくれました。(涙で覚えてないけど…愛情たっぷりでした)
そして、私に寄せ書きの色紙という卒業証書を渡してくれました。スタッフが書いてくれたんだぁと思ってみたら…なんと寄せ書きをしてくれたのは、お客様たち!
いつもは麻痺があって字なんて書けないという方も、認知症で自分の生まれも言えない方も(かろうじて読める名前のようなものを書いてくれた)、弱視でほとんど目が見えない方も…送迎車の中や、トイレに隠れたりして…たくさんの人が書いてくれました。
この色紙を見て、涙が止まらず…世界一の幸せ者だと思いました。

最後は、笑顔で皆さんとお別れできて…本当に感謝の気持ちに溢れた幸せな一日でした。

そして、夜には二度目の送別会。そこでもサプライズが!なんと有志から、ナースウォッチのプレゼントが!そして、今日の企画から全て、企画してくれた最高の友人であるみゆきちゃんから、お客様とスタッフの写真が貼られたメッセージブックが…。寝ずに作ってくれたそうです。

言葉で言い表せないほどの、宝物をありがとう!最高の旅立ちとなる生涯忘れられない一日になりました。

全ての出会いに感謝せずにはいられません。
これから新しい患者さんと出会っていくけど、今まで以上の気持ちで向き合わないと、お別れしてしまったお客様に顔向けできません。
前を向いて、日々精進します!!ありがとうございました!!

 
もうすぐ3.11から1年が経とうとしています。

色々な思いを風化させないためにも、昨年ボランティアで石巻に行ったレポートをアップいたします。


昨年6月18日~21日の4日間という短い時間でしたが、それでも感じたことはとても多くありました。

手直ししたいところは山ほどありますが、当時の生の自分の声を思い返すためにも手直しせずアップします。

読みにくい部分があるかもしれませんが、ご興味のある方は一読ください。


戦争という現実を知らない私のために、父や母、そして祖父母に語り継いでもらったこと。

今回の震災も同じ意味を持つと思います。

私ひとりの力では誰も救えないかもしれませんが、私がその場で見ること聞くこと感じることによって、その体験から語り継ぐということは出来るかもしれません。

少なくとも、私と関わりのある方、そして子供たちには。

ある意味不純かもしれませんが、そういう思いで自分のために行かせて頂いたボランティアです。


【以下当時のレポートです】
 
動場所:宮城県石巻市 ビックバン(河北総合センター) ※一般の避難所
活動期間:平成23年6月18日(土)~6月21日(火)
被災者内訳:成人、子供、高齢者(要介護者は少なめ)
活動内容:(介護)排泄介助、清拭
       (一般)炊き出し補助、配食、環境整備、物資整理・廃棄、子供の遊び相手…他
    
◎タイムスケジュール(介護斑の場合)     ※避難所は6:00起床、21:00消灯
4:30 起床
5:30 排泄介助、更衣、Pトイレ片付け
6:00 トイレ清掃、ゴミ集め、物品補充
7:00 朝食・休憩
9:00 トイレ清掃
9:30 トイレ介助、おじゃっこ会(お茶会)準備・誘導
10:00 おじゃっこ会(自己紹介・体操・レク・お茶飲み)
11:00 誘導、片付、一般被災者へ配茶
11:30 昼食・休憩
13:00 トイレ介助、清拭
14:00 物品整理・廃棄、衣類日干し・ダンボール詰め
15:00トイレ介助
16:00 炊き出し準備
16:35トイレ介助
17:00 配食準備
17:45 配食アナウンス、配食開始、片付け
19:00 夕食・休憩
20:00 環境整備
20:30 トイレ介助、更衣、Pトイレ設置
21:00 片付け、就寝準備
22:00 就寝
 1:00 パット交換
※  空き時間に入浴(今回は滞在4日間の内1日)、子供の遊び相手、レク準備等




◎宮城県、石巻市の状況
テレビでも報道されているとおり、3ヶ月を経過した今でも沿岸部は何キロにも渡って、ガレキの山で埋め尽くされている。

水が引いていない地域もあり、自衛隊や警察が中心となって撤去活動を行っていた。

大きな漁港だったこともあり、海産物の腐敗が進み、ほんの数秒間車の窓を開けたが、呼吸が出来ないほどの腐敗臭で覆われていた。

街中に仮の土葬場と見られるところが点々と見られた。

高速道路にも、普通ではありえない段差が長距離に渡って見られた。

至る所に震災の傷跡が残っており、これからも長期にわたって復興支援が必要だと感じた。


また厚労省は一度浸水した所には仮設住宅は建てないと決定したらしく、避難所生活が延びる可能性が示唆される。

それに加えて、支援の手が避難所と在宅で生活している人たちに対して二極化しており、在宅の被災者に関しては把握できていない所が未だある。

壊滅した集落の残った1、2軒の家に生存した人たち全員が住んでいるという場所もある。

こういった手が届いていない場所を捜し出し、ピンポイントに支援していくことが必要だと話していた。



◎避難所の状況
今回活動したビッグバンは、総合コミュニティ施設だが、施設内のほぼ全域が避難所として利用されている。

ここは、震災直後に担当として詰めていた3人の保健師の指示の下、最大700人ほどの避難者を抱えるそれなりの規模の避難所にも関わらず、配食や部屋割り等、比較的に円滑に運営されてきた。

現在では、約半分の350人ほどの規模になり、被災者による自治運営組織もできている。

ここでの避難者は被害が甚大だった牡鹿半島の雄勝町から来ている人が多いこと、部屋割りが集落別に分かれていることが特徴的。

年齢も子供~高齢者まで幅広く、休日には子供の相手をすることも多い。

また問題点として、避難所を出る際に申し出ない人が多くいるとのことだった。

仮設住宅に入っても、配食や洗濯、入浴を避難所で済ますとお金がかからないからという理由だそうだ。

施設長ですら現避難者数の把握が出来ていないという状態だった。


高齢者の問題以外にも、子供の精神的なケアが必要でメンタルカウンセラーも調査で介入していたが、まだ機能していない状況だった。

震災のショックや共同生活でのストレスからか、普通の子供に比べて暴力的・批判的な態度に出る子供がとても多く、大人もボランティアも対応に困っていた。

甘えたい、かまってほしいという気持ちの現れや、寂しい、怖いということからの行動の様だか、ボランティアの短い活動期間で深く接することは逆効果の為、その場限りの対応しか出来ないのが現状だった。


食料事情も深刻で、朝の配給は昼と兼用で、おにぎり2個、パン2個、牛乳などジュース類、リンゴやバナナといった同じものが毎日配られる。

夜の配給は仕出しの弁当、炊き出しの味噌汁、レトルト食品や缶詰が数種類、フルーツやあんみつなどといったデザートがつく。

カロリーは非常に高く、代わりに生野菜などのビタミンが摂れるような物はほとんどないメニューだった。

糖尿・腎臓・減塩食などの配慮はもちろんなく、自己管理のみでコントロールするしかないが、ほとんどされていないのが現状だった。

ちなみに、血糖値を測るキットもなく、インシュリンも感覚で打っているという方もいた。

滞在3日目にしてビタミン不足からか、私は口内炎が2つ出来てしまった。

ここでのボランティアは泊まり込みの活動となる為、被災者の迷惑にならぬよう常に気遣いが必要となる。

また休憩という休憩はないので、余裕のある時間を見つけて休むことが重要。



◎介護支援の状況・課題
介護班として支援に携わるが、既往歴や内服薬等の情報は一切ない。

本人や家族からの情報、以前に入っていたボランティアの情報のみが頼りとなる。

また介護保険制度は当たり前だが、一切機能していないので本人や家族からの要望がない限り、どんなに必要と思える人でも気軽に介入することはできない。


排泄介助や介護用品にあたっても、そこにある物資で対応しなければならないので、本人に合っているものがないとしても、その都度担当介護職が検討し、工夫していく必要がある。

ベッドもほんの一部の高齢者しか使用しておらず、固い床の上に寝て立ち上がることも困難など、日常生活に支障をきたしている人が多くいた。

避難所の生活は寝食分離も難しい。

配食もお風呂も洗濯も、人が用意・片付けをする為、ほとんど動かずに生活できる環境がある。

その結果、避難所に入った時より歩けなくなったなどのADLが低下した高齢者が多くみられる。

その一つの対策として、おじゃっこ会(お茶会)を毎日開催し、高齢者・障害者を中心に声をかけ、寝床から離れるという働きかけを行っていた。

内容は、体操、レクリエーション、お茶を飲みながらの談笑など小一時間の活動であるが、今となっては、毎日楽しみにしている方も多く、人数も増えてきているようだった。

ただし、デイサービスのように参加者の把握がほとんど出来ないので、何人来るのか、どのようなADLの人が来るのか…など、開始直前にしか分からず、前もって準備をしたりしても臨機応変に対応を迫られることが多々あった。


そして重要だと感じたのは、これから被災者の方たちは仮設住宅に移ることが前提であるということ。

ボランティアと言っても、手を貸しすぎないということを意識して行動しなければならない。

大変だからと全てやってしまうとADL低下につながるだけでなく、震災前と同様に老老介護だった家庭もその状態に戻れなくなってしまう危険があるからだ。

これから仮設住宅に移ったとしても、介護保険が機能していないので、通常のケアマネに頼んでケアプランを作成してケアに入るという当たり前のことが今のままでは出来ない。

結果として、避難所から出たくないのではなく、出られない高齢者もいるようだった。

今後は配食サービスや買い物代行などの民間サービス、生活支援から身体介護まで従来の介護保険制度を復活させ、早急に介入出来るようにならないと高齢者の負担が増え、確実に良くない方向にいくことが目に見えた。

現在の状況にプラスし、これからのことを考えると課題が山積みだと感じた。




◎ボランティア活動について
活動を始める前に注意事項として以下の説明を受けた。

①これから行く場所は被災地、相手は被災者であることを忘れずに接する。

②業務内容として専門職(NS・介護士)としての業務は少ない。
それでも専門職が必要なのは、被災者の心身の状態を見ながら介助を行ったり、傾聴を行えるから。
その他予防に対する知恵を出すことが経験上、出来るから。その点を意識して活動してほしい。

③チームとして入っている事を忘れず、チームリーダーの言うことには必ず従う。…というものだった。


今回のボランティアは長期のスタッフがいるわけではなく、全て4日~1,2週間の滞在期間に活動し、引き継ぎも半日~1日程度で行うという過酷なものだった。

リーダーでさえ数日前に現地に入った人だったりと、全員が不安な中、全神経を情報収集と観察に目を向け、今まで継続的かつ安定した支援を提供できていたのだと思う。

ひとりひとりの次につなげるという思いで、今までもこれからも、顔も名前も知らないボランティア同士がつながって支援していくというのが現状だ。



こんな出来事があった。
最終日の夜、自治会の会長さんたち数名に誘われ、最終日だからと酒盛りをしてくれた。

その時に聞いた話がとても印象的だった。
「被災者として避難所に入った当初はボランティアと聞いても”格好つけて”としか思わなくて、好きじゃなかった。しかし、毎日顔を合わせて、少しずつ会話をする中で、みんな仕事や家庭の都合をつけたり、中には交通費の為に貯金をしたりして、ここに来て被災者の為に活動をしてくれていることに気付いた。その時に、自分達は被災者で、家も仕事も何もないけれど、何もないからと言って、ただ何もせずに世話になっていていいわけじゃない。ボランティアさんはみんなそれぞれの生活をおいてきて、こうしてくれているのに、自分達が自分達のことをしないのはおかしい。そう思って自治運営を始めた。ボランティアさんがどんな思いで活動してくれているかはわからないけど、きっと間違っちゃいないよ。」と話してくれた。

私たちボランティアは、ちょっとの勇気を出し、多くの不安を抱えて現地にやってきた一般人がほとんどだと思う。
右も左もわからずにやってきて、ただ被災者の日常をかき回しているだけではないか、誰の役にも初めから立っていないのではないかという苦しい思いの中で、その言葉を聞いて私たちはとても安堵した。

しかしその言葉があるのは、今まで誠心誠意活動してきた何十人、何百人のボランティアがいたからこそだということに感謝し、この言葉を当時大変だっただろう方たちに伝えたいと思った。


ボランティア活動はその時期によって状況が大きく異なる。

今回は、避難所閉鎖に向けての時期だった。

それぞれに大変さがあるが、その時々のニーズや問題に目を向け、それに対してアプローチ、アセスメントを繰り返し、後につなげていく。

特に色々な問題の中でも被災者に対してのアプローチはとても難しいようだ。

ボランティアは人が変わり、当然すぐにいなくなる存在。子供や高齢者など被災者と必要以上に仲良くなってはいけない。

親身に接したいが、接すればするほど別れの際に、悲しい思いをさせてしまうからだ。

問題点を見つけても、それに対するアプローチが信頼関係を築いて、長く接していかなければならないものならば、初めからそのアプローチはしてはいけないというのがその時の結論だった。

そういう状況や問題を多く見かけたが対処せず、早くそれが改善される環境に戻ってほしいと願う他なかった。


今後は今回の経験を周りの人に伝えていきたいと思う。

“マンパワーがこれからも必要なこと。”

“間接的な援助もまだまだ足りないということ。”

“今、私たちが日常に関わっている事(計画停電や原発などの諸々の問題)は、全て被災者とつながっているということ。”

“被災者に安定した生活が戻るということは、必ず私たちの生活もより良く安定していくということ。”

「つながろう、日本」のスローガンがあるように、私はこういった小さな行動を続けて被災者とこれからのボランティアにエールを送りたいと思った。



◎体験して感じたこと
「経験に勝るものなし」今回はそのような意気込みで活動に向かったが、まさにその言葉の通りだった。

ある人が「ボランティアは余裕があるから出来るのよね。」と話していた。

しかし、私は間逆だと感じた。自分の少しの専門的技術と引き換えに、多くの事を学んだと思う。

被災地の現実、これからの問題、そこに生きる人の辛さや前向きさ、ボランティアの素晴らしさと短期間だからこその難しさ、介護職としての臨機応変な対応、同職種や他職種との連携等…多くのことを濃縮して考えさせられた、とても貴重な体験だった。

そして何より、価値観や固定概念が変わる。

普通ということの有難さ、いかに幸せかということ。

こんなに自分を成長させてくれる体験は余裕があるから出来るのではなく、余裕がないからこそ、ボランティアとして現実と向かい合う事によって、普段の自分とも対峙させてくれる機会がもらえるような気がした。

結果として、自分に出来ること、出来ていないこと、これからするべきことに気づかされた気がする。


みなさんは、自分が最期を迎える時を想像したことがありますか?

自分が病や老衰であとわずかとなったとき、どこで過ごしたいでしょうか?

・希望を捨てずに、治療を優先して、病院で闘い続けるでしょうか。

・余命がいくばくもなく、病に冒されていたら、最期を穏やかにと、緩和ケアのあるホスピスに行きたいでしょうか。

・それとも、家族に迷惑をかけたくないからと、老人ホームなどの施設に自ら入所するでしょうか。

・最後まで、慣れ親しんだ自宅で、普段通りの生活の延長として、家族に囲まれて過ごしたいでしょうか。


もちろん、正解や不正解なんてありません。

自分や家族の望む選択ならば、どの選択も素晴らしいものだと思うし、自分自身も満足がいくと思います。

ただ単純に…『私は』と考えたとき、自分を看取る家族のことも考えず、自分の気持ちを優先したら、

私は自分の住み慣れた家で最期を迎えたいと思います。


この考えに至ったのは、在宅の介護の現場を見てきたから。


(以下、少し脱線します。。。)

介護というと、みなさん高齢者ばかり思い浮かべると思いますが、最近は少し違ってきています。

障害者や障害児、ガン末期の成人など、色々な方のお手伝いをさせて頂きました。

障害者の方も多くいますが、とても増えていると感じたのが、若くしてガン末期、自宅で最期を迎えようとしている方たち。

子供さんが、大学生や高校生。シングルマザーのそのお母さんが余命あと数週間というお家に訪問に行ったことがあります。

彼女は長く辛かっただろう抗がん剤の副作用で、全身の毛が抜け落ち、頭部に出来た腫瘍のため、頭蓋骨の一部を外し、

そのせいで頭がむくみ、顔の横に同じくらいの大きさの皮膚が腫れあがっていました。

しゃべることも出来ませんでしたが、声掛けには目で訴えたり、少し手を動かしたりと答えてくれました。

正直、介護を長くやっていても胸が締め付けられるような状態でした。

それに対して、まだ20歳前後の息子さん、娘さんが笑顔で応対しているのです。


実際のところ、病院が良かったのか、家に帰れて良かったのか、本人の意思を確認することは出来ませんでした。

しかし、彼女と子供さんたちのやり取りは、病気ということを除けば、とても自然な形でした。

娘さんがご飯を作りながらお母さんに相談したり、息子さんが枕元でお母さんに学校の他愛もない話をしたり…

残された家族にとっても、悔いのない時間が長く取れたのだと私は感じました。

(脱線、終わり。)



高齢者を含めた看取りの問題で私が感じたことは、

家に帰れるということ…それを受け入れられる土壌がもっとあれば…ということでした。

いくつかの選択肢あってはじめて、自分の希望に近い選択が出来るわけです。

もっと最期の時間を、今までの生活の延長として家で過ごせる…

それが当たり前になっていけばいいなと思います。

子供も大切な人の死というものが身近になれば、辛さを乗り越え、

きっと時間を大切に…積み重ねては人生を大切にしていくのではないでしょうか。

(賛否両論あると思いますが…)


そして、これは知人の言葉です。

「これからの時代は、もっと在宅医療にシフトしていくだろう。

その中でも、ゴッドハンドに主治医になって欲しい!!と思う患者がいるように、

この看護師、この事業所に最期を看取ってほしい!!と思う患者さんが出てくるんじゃないかと思う。」


確かに…。一理あります。

だって私もきっとそう思うし、現に訪看のお客さんが「○○さんみたいな人に看取ってほしいわ。」と実際におっしゃるから。

人間性、フィーリングが合った看護師に担当してもらうことは、きっと日々の満足度にも繋がっていくでしょう。


そして専門看護師や認定看護師という資格取得者がもっともっと増えてきたら、、

病院だけではなく、在宅の現場にも波及してきたらいいと思います。

◎◎◎訪問看護ステーションは認知症に強い!

▲▲▲訪問看護ステーションは緩和ケアに強い!

□□□訪問看護ステーションは小児に強い!

みたいな風になってきたら、より専門的なケアが出来て、看る側も、看られる側も、

質の向上・満足度の向上・強いてはお互いのQOLの向上に結び付くのではないでしょうか。

(飛びすぎ???でも、妄想は大事!!!)


あぁ・・・なんだか長文になってきて、またいつものまとまらない感じになってきました…

これから自分がどのような事業所を作りたいのか、

時流を読みながら、そして日々精進しながらじっくり考えていきたいと思います。


とにもかくにも、人が好き! 患者さんも家族も支えていきたい!

この初心を忘るるべからず、勉強してまいります (。・x・)ゝ

全然まとまらない長文、お付き合い頂きありがとうございました。
この数日で、なんだか色んなことがたくさんありました。

まずは、お手伝いに行っていた同じ系列の自由が丘のデイから卒業したこと。

年明けからの1カ月半でしたが、なんともあっという間で、

お客様もスタッフも愛着が湧いてきたので、お別れが寂しかったです。

特に、ここのデイにはすんごい人がたくさんいました。

東大の名誉教授で、つい最近までアメリカに遊びに行っていた90代のおじいさん。

会社経営、能の先生、歴史なんかにすごい知識のある90代のおじいさん。

春の園遊会に参加される旦那様と二人三脚で歩いてきたとても素敵な80代のおばあさん。

ほんの一部ですが、ほんとにみなさん素晴らしい方たちでした。


その中で、自由が丘での最後の勤務の日に、大変感慨深いお言葉をいただきました。

「自分の経験をどう活かすか考えなさい。今までしてきたことがあるんだろう?」

「人と同じようなことしてちゃダメだ。変わったことをしなきゃ。89歳の私が今仕事できるなら、迷わず潰れかかった会社に行くぞ。」

「人に好かれようとしてるだけじゃいけない。社長なり、上司が持ってるアイデアを潰してでも追い抜いていかなくちゃ。」

「自ずと人がついてくる計画を立てなさい」

「現代人は努力をしなくなった。モノマネだけは上手くなった。」

「一時の苦労はしなくちゃダメ。時代には流れがある。孫の代まで食べれるか判断しなさい。頭止めと思ったら後はいいところで引くことも大切だ。」

「何が一番大変かって、人の教育だよ。自分の温度で伝わると思ってはダメ。相手のわかるところまで自分が目線を下げて、いちから教えてやるんだ。」

起業したいとも言ってないのに、まるで私の頭の中を感じとったかのような会話でした。

仕事を忘れて、ペンを走らせてしまいました。

なんて言っても、一時代を引っ張ってきた先人たちのお言葉です。

中々聞けるもんじゃありません。



本当に感謝の気持ちでいっぱいになります。

今、このご時世、あーだこーだ言ってますが、日本は幸せだと思います。

問題のまったくない国や社会はありえません。

一番しょうもないことは、あきらめること、何もしないこと。

これからは、私たちが子供、孫の世代に同じように思ってもらえるように、頑張らなくちゃいけないだと再確認しました。

おじいちゃん、おばあちゃん。本当に頑張ってきてくれてありがとう。

全てを引き継いで、繋いでくれてありがとう。

そんな気持ちで仕事をしていたら、毎日が感謝と感動であふれます。

1人の人を亡くすことは、どんなに重みのあることか…

明日も笑顔でお仕事してきます。なんて幸せなのかしら。

photo:01


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タイトルの通り、さぁ、これは何でしょう?

正解は…

リハビリ用具です。

PTさんが左マヒの方のリハビリで、

小さいクッションを蹴るというのをやってました。

そこで、60代の若いお客さんに

「◯◯さん、頑張って~!」と

ふざけて黄色い声援を送ったら、

「顔を出せ、その方が蹴りやすいわ。」

と言われました。


Σ(゚д゚lll)



ひどい。



…ということがあったので、

劇画タッチで、

蹴らないでーと泣き叫ぶ私を

貼り付けました。ふふ。

早く笑う顔が見たいです。

ちなみに、お客さんとは仲良しですよ。


iPhoneからの投稿
入学までの間、仕事にだけ明け暮れていられるわけではなくなってきました(^_^;)

11月に社会人入試で合格をもらって、5ヶ月もあると思っていたけど、残すところあと2ヶ月を切りました。

しかも、有休を確認したら…

3.5日しかない!!!Σ(゚д゚lll)

27日から休んだとして…10日間のお休み。

その間にやることは…

役所での年金等等の手続き。

奨学金をもらう病院での手続き(予定)。

定期を買ったり、駐輪場を契約したり。

扶養に入る手続きとか?

後はなんだろう…

時間があるようで、細々していることがたくさん。

学校関係以外にも確定申告をしなくちゃいけなかったり…

頭がぐるぐる…(@_@;)


最近は、入学前の課題をとにかくせっせとしております。

DVD学習でテストを提出。90分の講義×4講が一週間の提出内容。

生物、化学、数学で約1ヶ月半かかります。

前倒しで順調に進んでます。これが出来なきゃ本末転倒!


しかし、こんな忙しい中でもっぱら楽しみなのが、

10日間のお休みで海外に行くことヽ(´ー`)ノ

友達と企画中です。うふふ。

学生の前に勉強終わらせて、お金の心配もクリアにして、

思う存分楽しんでくるぞー!




実は先月から、12月に開所したばかりの自由が丘のデイサービスにお手伝いに来ています。

来週いっぱいで元にいた池上のデイサービスに戻ります。

ここに来た時は、前のデイのお客さんに会えなくなることが寂しかったのですが、今は会いたい気持ちの反面、ここのお客さんと別れるのが辛いという複雑な心境です。

本当は3月いっぱいで退職することをもっと早くに伝えて、残りの時間を大切に過ごしたかったのですが…
気付けば、退職まであと1ヶ月半ほど。まだ退職を伝えることも出来ていません。

初めてのデイサービスで、たくさんのことを教えて頂いたお客様。
職員とお客様という壁や、孫やそれ以上とも言える年の差を越えて、親身に接して頂き、本当に素敵な毎日を過ごさせてもらいました。

1人1人のお客様との会話が思い出されます。感謝しかありません。

あと少しの時間しかないけれど、毎日を大切に過ごしていきます。

あと残された時間で何が出来るかなぁ?


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iPhoneからの投稿
看護学校入学前ですが、仕事に学校の課題に、時間に追われて中々思うようにブログが更新出来ず、あくせくしてる毎日です。。。

今日は眠い目をこすりながら、頑張って更新!

以前、所信表明②で、「私が働きたいのは在宅の現場」と書きました。
後日なぜそう思うかアップすると書いていたので、ちょっと触れてみようかなぁと思います。

私が在宅の好きだなぁと思う点は…

たとえ短時間であっても、サービスに入っている時間は1:1で接することができること
「ちょっと待っててくださいね。」という言葉を、施設などでどれだけ掛けてきただろうか・・・
最後はゆっくり話も聞けないことが自分自身のフラストレーションでした。
その点、やらなくてはいけないことはあるものの、その間は会話をしながら、
きちんと対応できる在宅の現場は、相手にとっても自分にとってもいいなぁと心から思えたからというのが、一番の理由。

番の生活の場に入り、本人はもちろん、家族の負担軽減に直接繋げられること
状況を把握しやすく、本人や家族との連携が取れるのも魅力。
信頼関係も得やすく、何か問題があったとしても、原因や対策を見つけやすく、
アプローチもすぐにしやすい。結果として、ケアの質を上げやすいように思う。

これもとても重要…。
なんと言っても、自分が要介護者だったら、家にいたいと思うから。
通所したり、SSを利用したり…、他のサービスを受けてでも家に帰りたいと思う。
長年慣れ親しんだ家は、他のどこよりも寛げる場所だから、
そこでの生活を続けようとしている家族のサポートをしたいと思った。

以上のような理由で、私は在宅の現場が好きです。
仕事がどんなに忙しくても、相手にするのはその時間はその方だけ。
これに尽きます。

ただ、ちょっと辛口かもしれませんが・・・
訪問介護といっても、介護をしていると言ってほしくないようなヘルパーさんも中にはいます。
排泄介助や清潔保持をきちんとしなかったり、問題があったとしても、
気付く能力がなかったり、気付いても見て見ぬふりをしてしまったり…
中には平気で法令や規則を守らず、本人が不在でも訪問したりする方もいます。
一人で入る現場だからこそ、「わからないだろう。」「これくらいでいいだろう。」という
気持ちが出てしまうと、一気に質が下がってしまうのも事実です。

たかがヘルパー、されどヘルパー・・・そして、さすがヘルパー!と言われるように
一人ひとりが自覚を持って、何のための誰のためのサービスなのか…
大切なことを忘れずに、努力を怠らずにサービスにあたって欲しいと願ってやみません。

介護職の処遇改善とばかり叫ばれていますが、その前にそれを貰えるだけの仕事を、自分自身がきちんと提供出来ているのか・・・今一度考えてほしいです。
もちろん自分自身も、日々考えて仕事にあたらなければと思っています。

看護師を目指している私が言うことではないかもしれませんが・・・
訪問していると看護師さんより、ケアに限ってはヘルパーの方が断然、仕事がきれいで細かいところに気が付くということが多々ありました。
ヘルパーからナースさんに問題点を上げて、アセスメントしていくことも多くありました。

介護のエキスパートはやはり、介護士であり、ヘルパーです!!!

介護士至上主義、看護学生まゆこめ(・・・複雑)は、在宅の現場で働くヘルパーさんに必死でエールを送りたいです。

なんだか睡眠不足でまとまらない文章になってしまいましたが・・・
今日はこれにて・・・。

あぁ、課題やらなくちゃ・・・。
私は今、訪問看護主体の会社のリハビリ型デイサービスで働いています。

私はこの会社がとても好きで、今日までの2年ちょっとの間、
仕事に行きたくないとかいやだとか思ったことがありません。
忙しく、てんてこ舞いにもなりますが、楽しく働かせていただいてます。

理由は多々あるのですが、昨日やっぱりこの会社いいなぁと思うことがありました。
うちの社長は介護業界大手のとある会社を立ち上げたこともあり、
経営戦略にとても長けています。
そして、社外向けにも経営塾なるものを運営しているのですが、
社員の希望者にも無償で受講させてくれます。

そしてそして、次回の塾生募集の告知が出たのですが、
これは将来、訪看をやりたい私にはとても魅力的なお話でした。
なんせ、訪看の経営を無償で教えてくれるところなんてそうそうありませんから・・・

しかし、私は3月いっぱいで退職の身。しかもナースにもなっていない・・・
でも、ダメ元で申し込んでみました。
そうしたら、受講希望をお伝えした営業さんから昨日返事があり、
「社長が受けてもいいよー。って言ってました。」とのこと。

嬉しくなり、ほっこりしてしまいました。
この懐の広さ。やっぱりこの会社、好きです。

去年は震災のボランティアに行くために休ませてほしいと嘆願書を書いたら、
上司がみんな無理だと思う・・・という中、
社長は往復の交通費までポケットマネーで出してくれました。
こんな会社だから、頑張ろうと思えちゃうんですね。辞めるのが寂しいです。

経営塾は月1回、土曜日に約10か月行われるそうで、
看護師やリハスタッフさんも受講されるので、
看護学生しながら交流が持てるのが、楽しみです。感謝、感謝です。
今回は、なぜ開業ナースを目指すのかについて書きたいと思います。

次回の更新から中々書けずにいたんですが…
色々考えたら、考え過ぎて一周してしまいました。
なので、煮詰まっても残っている土台の部分だけ書かせて頂きたいと思います。

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まず一つ目に、私は昔からリーダーという立場にいる方に、とても興味があった。
大人になるにつれて、憧れと興味本位から、色んな場所に自ら出向くようになり、色んな方との出会いがあった。

仕事は介護の仕事をしていたが、知人である美容院経営の夫婦にエステをしてみないかと薦められ、資格を取り、美容院がお休みの日に場所とお客さんを借りて営業させて頂いた。
その後、短期間だが、自宅近くにマンションを借りたり、地元のフィットネスクラブのイベントで講師をさせて頂いたり…
当時はお金も時間も体力も掛かり、大変だったが、今では中々出来ない素晴らしい経験をさせて頂いたことに感謝している。

そんな出会いから、どんどん輪が広がり、帝国ホテルのVIPルームやリッツカールトンのスイートなんかにお邪魔しながら、色んな話を聞いた。
そこで気付いたことは、リーダーと呼ばれる彼らは、自分が属する、家族、会社、社会、国に対して、とても肯定的で自ら貢献しようと日々努力している。だから自ずと周りから応援され、成功に至るんだと思った。いつか私もなりたいと、心の奥底で思っていた。

前置きが長くなったが、シンプルに書くと真のリーダーになりたいというのがひとつ。

そして、もうひとつの夢は…ある意味この夢と反対に位置すると考える方もいるかもしれない。
それは、女性の夢である、母親になりたいという夢である。

私は今年29歳になり、母親が私を身籠った年になった。
しかし、私は独身。そして心から楽しいと思える仕事に出会い、ステップアップとして看護の世界に挑戦するため、3年間学生になる。
卒業は32歳、病院で3年間勉強して、35歳。結婚はその間にすることがあっても、子供は35歳まで待ちたいのが本音。その後ももちろん、子供を育てながら、看護師として働きたい。

最近では、病院内に保育室があるところも珍しくない。
ただ私が最終的に働きたいのは、在宅の現場だ。(この理由についてはまた後日アップする。)
私が働いていた横浜市某医師会や、現在の訪看主体のデイでも、密接に関わることが多くあった。
そして多くのナース達が、妊娠、出産で休職や離職をしていった。
働きたくても、雨の日も雪の日も自転車で訪問するこの仕事は、この上なくハードだった。

在宅医療の必要性が取りざたされる中、働きたくても、医療従事者のライフスタイルにあった現場は少なく、思うように働けない。
結果として、必要とされている在宅の現場から人材が離れたり、潜在看護師が増えたりする。
この現状を、なんとかもっといいものに出来ないかと前々から思っていた。
そして、自分も子供を産み、育てながら働ける…訪問看護ステーションを作りたいと漠然と考え始めたのがきっかけだ。

私は、患者さん(お客様、利用者さん)との触れ合いがとても好きだ。
そして私は、自分の祖父母や親が受けても安心し、満足でき、家族も納得できるサービスを提供することを目標にしている。
実際は、まだまだだが…日々目的を見失わないように心掛けている。

しかし、医療従事者といえども、いくら仕事とはいえ、自分の生活環境が整っていなかったり、荒んでいたら、
最高のサービスを与え続けることは難しいだろう。
だからまず、患者の生活を整え、潤いあるものにする為には、会社が看護師の生活を支え、潤いのあるものにしなければいけない。
相互のQOL(生活の質)の向上だ。
口でいうのは簡単だとは分かっているが、改善される可能性があるなら挑戦したい。

今、頭にあるのは、訪問看護ステーションに併設して、事業所内保育室を作ること。
同時に居宅支援事業所も営業できるので、ケアマネ資格も学生のうちに取得する。
そして、地域の児童を受け入れたり、看護師を保育室に配置することで助成金に加算がついたり…
(ここも細かく話したいが、えらく長くなるのでまた後日…。)
色々可能性を考えている。

そして大事なのは…自分一人ではなく、同じ志を持った方達と力と知恵を出し合い実行して行くこと。
在宅看護でやってみたいことがある人、保育室やってみたい夢がある人。
一人では難しいと思えることも、仲間がいれば必ず補い合えると思う。

そのための学生の間は、経営者の方や、先輩に勉強させて頂き、色々な夢を持った方達と交流を深められたらと考えている。

とてもとても長くなったが、以上が私の今の開業ナースを目指す理由である。
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ブログを始めたのも、情報収集に加えて、夢を持っている方達と交流を深めたいからです。
利害関係の有無ではなく、個々人がイイ!と思えるものを実現するお手伝いを私もさせて頂きたいです。

堅苦しい話が続きましたが、私はもともとよく食べ、よく飲み、よく笑うごく普通の一般女子です。
気軽に声をかけて頂けたらと思います。長文読んで頂き、ありがとうございます。