ブログを始めるにあたって、所信表明なんて堅苦しく書いてしまいましたが、
どういう思いで今の自分に至って、どういう思いでこれからに繋げていくのか。
忘れないためにも書いておこうと思います。
なんだか長くなりそうなので、とりあえず今の自分に至るまでを書いていきます。
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中高一貫の学校を高校2年生の時に自主退学した。
理由は、高等学校卒業程度認定試験(当時の大検)という画期的な制度を見つけ、
それを取得したら高校にいかずに早く仕事が出来て、大学にも専門にもいける!
と思ったから。つまり、早く大人になりたくて、働きたかった。
そして、翌年に大検を取得し、フリーターとして派遣で働き始める。
いろんな人と関わる中で、仕事の楽しさを知ったつもりになって、どんどん働いた。
17歳から働いて、2年経つ頃、「このままじゃいけない、出来ることを探さなくちゃ!」と思うようになり、働きながら取れる資格を探した。
当時、2002年頃は介護保険が施行されたばかりで、世は介護ブーム。
これからホームヘルパーがくる!と言わんばかりのPRに、人が元々好きだった私は
とりあえずとってみようという軽い感覚で、ヘルパー2級を取得。
施設や在宅の研修で軽い衝撃はあったものの、とったのだからやってみようと
恐ろしくポジティブに就職。
初めての職場は新宿区の老健。新しい施設だったので、若い子ばかりだった。
しかし、若いといってもほとんどが専門や大学卒で、今思うと劣等感を感じていた。
でも、利用者さんたちが本当に優しくて、素敵で、大好きで…
勉強してこなかったからと言って、不遇を味あわせたくないという思いで、
独学で猛勉強。本屋の介護系の本をかたっぱしから読んでいた。
とても勉強させてもらった施設だったが、施設側の方針転換についていけず退職。
その後、自宅近くの有料老人ホームに勤務。
医療法人と民間会社との違いに悪戦苦闘した。
介護経験のある人がほとんどおらず、自分の非力さに情けなくなりながらも退職。
この後、介護士を続けるかどうか、とても悩んだ時期だった。
自分には人をみるなんて出来ないんじゃないか…
そもそも、やりたくて始めた仕事じゃなく、なんとなく始めたわけで、
これが本当にやりたいのか?続けていきたいのか?自問自答してました。
結果、辞めるのはいつでもできるし、お年寄りは好きだから、
在宅の現場をみてみよう!辞めるのはそれからでもいいじゃないかと、
横浜市某医師会の24h巡回ヘルパーとして勤務。夜勤専門職として働き始める。
ここで働いたことが、私の価値観や大きな指針を作ることになる。友人もたくさんできた。
何せ、本当に忙しく、体力の限界まで追い込まれた現場。1夜勤に20件も回った。
その代り、当時は教育体制がしっかりしていて、みっちりと仕込まれた。
この事業所は地域でも勉強会を開催するような基幹となっているところで、
ふつうでは学べないような講習も多々受けることが出来た。
今でも、身体介護についてはある程度対応できると自負している。(たぶん)
しかし、なぜか給与が毎年下がっていくので不安になり、4年で退職。
(当時、アロマやリンパの勉強もしており、傍らでマンションを借り、
エステを細々と営業していた。そのためにすごく多忙だった。)
ここでも一つ葛藤があった。仕事は好きだったが、体力的にあまりにも辛く…
10年も20年も続けられるか不安があり、他の職も考えてみる。
…が、いい意味でも悪い意味でも、他に何もできない自分に気づかされる。
その後、在宅の面白さを知ったため、また給料のいい夜勤パート勤務として、
夜間対応型訪問介護と障害者の方のお宅にお泊りというバイトを掛け持つ。
民間の会社の難しさと、障害者の介護の難しさに直面し、勉強させてもらう。
体調面で無理がたたって、2年で退職。
そして、体調に無理なく、介護の仕事をしようと決め、
6年間の夜勤生活に終止符を打った。
ここでも少し、介護の仕事について考えてみた。
が、やはりお年寄りが好きということ。自分にはこれしかないということ。
そして、人をきれいにしたり、楽しませたりすることが気持ちいいということ。
この自分の感情に気づき、「介護をずっと続けよう!」と割り切ったら、
とてもすっきりして楽しむことができるようになった。
その後現在のリハビリ型デイサービスに勤務となる。
民間会社だが、経営理念がしっかりしており、ホスピタリティがある。
私はこの会社も、仕事も、お客さん(利用者)も大好きである。
そして、転機が訪れたのが、一昨年の末。
知り合いの医師と話をしていた時に、
「もし学生からやり直せるなら、私看護学校に行きたかったです。」と言った。
深い意味もなく、なぜか自然と出た。
そしたらその医師が
「20代でしょ?何も遅くない。40になったら、あの時行っとけば…ってまた思うよ。」
と言われ、ハッとした。
それからなんとなく、看護学校について調べて、受験を決めたのが去年の頭。
ちょうど今から一年前くらい。そして3月から受験勉強を始めた。
そして、11月、社会人試験合格。
ここに至るまでの10何年間、数々の壁とぶつかり、悩み、やってきた気がする。
それでも、介護の仕事をしていて、今が一番仕事が楽しい。
これが、答えだと思う。
悩んで苦しんできたことが経験値となり、それを自分で認められるようになり、
そして人にも認められ始める。
してあげたくても出来なかったことが、出来るようになり、感謝される。
プラスのスパイラルにピタリとはまっている気がする。
それから、挑戦する前は大層な壁と思っていた障害も、「やる!」と決めたら、
大した障害ではないことがほとんどだった。
時間がなければ、出来るよう頑張るし、お金がなければ、バイトしたり、節約する。
勉強ができなければ、小学生までさかのぼってやればいい。
結局、いちばん大事なのは「やる」と決めることだった。
これから、看護師になるために、学校生活に入る。
私は看護師は、介護の仕事と通じることが多くあり、1人の人を支えるという点で
同じ種類の仕事だと思っている。
私は、この大好きな介護の仕事のステップアップとして、看護師を目指す。
1人の人をより広く深く理解し、支えたいからだ。そのための術を学びに行くのだ。
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これが私の所信表明です。
とても長くなりましたが、自分が忘れないためにもアップしておきます。
今度は、なぜ開業ナースを目指すのかについて触れたいと思います。
ありがとうございました。
どういう思いで今の自分に至って、どういう思いでこれからに繋げていくのか。
忘れないためにも書いておこうと思います。
なんだか長くなりそうなので、とりあえず今の自分に至るまでを書いていきます。
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中高一貫の学校を高校2年生の時に自主退学した。
理由は、高等学校卒業程度認定試験(当時の大検)という画期的な制度を見つけ、
それを取得したら高校にいかずに早く仕事が出来て、大学にも専門にもいける!
と思ったから。つまり、早く大人になりたくて、働きたかった。
そして、翌年に大検を取得し、フリーターとして派遣で働き始める。
いろんな人と関わる中で、仕事の楽しさを知ったつもりになって、どんどん働いた。
17歳から働いて、2年経つ頃、「このままじゃいけない、出来ることを探さなくちゃ!」と思うようになり、働きながら取れる資格を探した。
当時、2002年頃は介護保険が施行されたばかりで、世は介護ブーム。
これからホームヘルパーがくる!と言わんばかりのPRに、人が元々好きだった私は
とりあえずとってみようという軽い感覚で、ヘルパー2級を取得。
施設や在宅の研修で軽い衝撃はあったものの、とったのだからやってみようと
恐ろしくポジティブに就職。
初めての職場は新宿区の老健。新しい施設だったので、若い子ばかりだった。
しかし、若いといってもほとんどが専門や大学卒で、今思うと劣等感を感じていた。
でも、利用者さんたちが本当に優しくて、素敵で、大好きで…
勉強してこなかったからと言って、不遇を味あわせたくないという思いで、
独学で猛勉強。本屋の介護系の本をかたっぱしから読んでいた。
とても勉強させてもらった施設だったが、施設側の方針転換についていけず退職。
その後、自宅近くの有料老人ホームに勤務。
医療法人と民間会社との違いに悪戦苦闘した。
介護経験のある人がほとんどおらず、自分の非力さに情けなくなりながらも退職。
この後、介護士を続けるかどうか、とても悩んだ時期だった。
自分には人をみるなんて出来ないんじゃないか…
そもそも、やりたくて始めた仕事じゃなく、なんとなく始めたわけで、
これが本当にやりたいのか?続けていきたいのか?自問自答してました。
結果、辞めるのはいつでもできるし、お年寄りは好きだから、
在宅の現場をみてみよう!辞めるのはそれからでもいいじゃないかと、
横浜市某医師会の24h巡回ヘルパーとして勤務。夜勤専門職として働き始める。
ここで働いたことが、私の価値観や大きな指針を作ることになる。友人もたくさんできた。
何せ、本当に忙しく、体力の限界まで追い込まれた現場。1夜勤に20件も回った。
その代り、当時は教育体制がしっかりしていて、みっちりと仕込まれた。
この事業所は地域でも勉強会を開催するような基幹となっているところで、
ふつうでは学べないような講習も多々受けることが出来た。
今でも、身体介護についてはある程度対応できると自負している。(たぶん)
しかし、なぜか給与が毎年下がっていくので不安になり、4年で退職。
(当時、アロマやリンパの勉強もしており、傍らでマンションを借り、
エステを細々と営業していた。そのためにすごく多忙だった。)
ここでも一つ葛藤があった。仕事は好きだったが、体力的にあまりにも辛く…
10年も20年も続けられるか不安があり、他の職も考えてみる。
…が、いい意味でも悪い意味でも、他に何もできない自分に気づかされる。
その後、在宅の面白さを知ったため、また給料のいい夜勤パート勤務として、
夜間対応型訪問介護と障害者の方のお宅にお泊りというバイトを掛け持つ。
民間の会社の難しさと、障害者の介護の難しさに直面し、勉強させてもらう。
体調面で無理がたたって、2年で退職。
そして、体調に無理なく、介護の仕事をしようと決め、
6年間の夜勤生活に終止符を打った。
ここでも少し、介護の仕事について考えてみた。
が、やはりお年寄りが好きということ。自分にはこれしかないということ。
そして、人をきれいにしたり、楽しませたりすることが気持ちいいということ。
この自分の感情に気づき、「介護をずっと続けよう!」と割り切ったら、
とてもすっきりして楽しむことができるようになった。
その後現在のリハビリ型デイサービスに勤務となる。
民間会社だが、経営理念がしっかりしており、ホスピタリティがある。
私はこの会社も、仕事も、お客さん(利用者)も大好きである。
そして、転機が訪れたのが、一昨年の末。
知り合いの医師と話をしていた時に、
「もし学生からやり直せるなら、私看護学校に行きたかったです。」と言った。
深い意味もなく、なぜか自然と出た。
そしたらその医師が
「20代でしょ?何も遅くない。40になったら、あの時行っとけば…ってまた思うよ。」
と言われ、ハッとした。
それからなんとなく、看護学校について調べて、受験を決めたのが去年の頭。
ちょうど今から一年前くらい。そして3月から受験勉強を始めた。
そして、11月、社会人試験合格。
ここに至るまでの10何年間、数々の壁とぶつかり、悩み、やってきた気がする。
それでも、介護の仕事をしていて、今が一番仕事が楽しい。
これが、答えだと思う。
悩んで苦しんできたことが経験値となり、それを自分で認められるようになり、
そして人にも認められ始める。
してあげたくても出来なかったことが、出来るようになり、感謝される。
プラスのスパイラルにピタリとはまっている気がする。
それから、挑戦する前は大層な壁と思っていた障害も、「やる!」と決めたら、
大した障害ではないことがほとんどだった。
時間がなければ、出来るよう頑張るし、お金がなければ、バイトしたり、節約する。
勉強ができなければ、小学生までさかのぼってやればいい。
結局、いちばん大事なのは「やる」と決めることだった。
これから、看護師になるために、学校生活に入る。
私は看護師は、介護の仕事と通じることが多くあり、1人の人を支えるという点で
同じ種類の仕事だと思っている。
私は、この大好きな介護の仕事のステップアップとして、看護師を目指す。
1人の人をより広く深く理解し、支えたいからだ。そのための術を学びに行くのだ。
---------------------------------------------------------------
これが私の所信表明です。
とても長くなりましたが、自分が忘れないためにもアップしておきます。
今度は、なぜ開業ナースを目指すのかについて触れたいと思います。
ありがとうございました。