小さな頃から「自分って何だろう?」と思っていた私です。
 そのこたえはまだでていませんが、ヨガのシャバアーサナのとき
涙が出たとき、それはただカラダが緩んだからだけではない
なにか、があるんだなーということがわかります。

わたしはヨガのヴェーダーンタの勉強も昨年よりしているのですが
ヴェーダーンタの教えをわかりやすくかいている人の中に
ディーパック・チョプラさんという人がいます
(インド人、医学博士)

人はなんとしても人から認めてもらいたがる生き物。
でも、それはあくまでも他人ありきのものです。
本当の自分って他人がいないと成り立たないものなのでしょうか?

こたえは否、です。

心のなかのもっと深い層にいったときに、自分って何だろう?
ほんとのじぶんってどういうの?というのがかいてあります。

わたしは小さな頃からなぞの孤独感があるのですが
それはエゴの仕業に他なりません。

例えば悲しいとき、それはほんとに今、悲しいのでしょうか?
もしかしたら、過去の出来事がそうで、過去の傷ついた記憶が
そうさせているだけかもしれません。
例えば、子供の頃の満たされなかった心を抱えたままでいると
愛する人があなたと少し距離を置きたいと考えているのを
なかなか受け入れられないのです。

心の古傷を思い出して、今までどのくらいの+があったのか。

正直に考えると確かに、センチメンタルな気持ちになったところで
実はプラスなどないんですよね。
古傷にはプラスはないのです。いいことをまぜてあったとしても
そのエゴの幻想に騙されないでください。

ほんとの自分というのは純粋で無垢で、無邪気なものです。

でも、エゴというものが長い事あなたを形成してきたので
第二の本性になってしまっているのです。
(ちょっとずつ引用)
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わたしは記憶力がとても良く、人がぽろっと漏らした言葉もふくめて
全て覚えています。ほんと、どうしようもないくらいの
記憶力なんです。
思い出地獄とも言うべく、ありとあらゆる事を覚えていて
ときに自分を喜ばせ、ときにそれにより苦しんできた事もあります。

おかげで苦しむ人の事はすぐ察知する事ができ
理解する事ができました。

でも、それって、半分はエゴなんですよね。
たとえば自分が被害者だと思ったとしても、傷つけているのは
自分自身なのです。自分がそう思わなかった時点でそれは消滅します。

他の人が何をしていても、何を考えていても
自分の価値を決めるのは自分自身です。

それに気づいただけで、なにかにしがみつくことはなくなるでしょう。
だいたい思い出す事のほとんどは過去の事です。

人は過去に生きているわけではありません。
いい事も悪い事も関係なく今に生きるほうが
リアルです。

それって愛かな?

最近思い描いた事をいつも考えます。

愛が基準ならオッケイだし、エゴが基準ならNGだろうし。

それをいつも考えるようにしたいな、と繰り返し思ってます。
ちょっと真面目っぽいけどね。

わたしをわかって!僕をわかって!という気持ちは
エゴが発端です。
過去の満たされない記憶から来ています。
それはキンキンではなく、ずっと昔さかのぼったむかしから
きているかもしれません。

でも、まずはそれに気づく事。
気づく事で一歩進めるのです。

あたしもそうです。

今のままでいい。それはときどきほんとうでときどきうそかもしれません。

今の心が窮屈ならば、その心を見つめてあげましょう。
そして、どうして窮屈なのかを考えましょう。
そしてそれが過去が起因していると知りましょう。
そしてその過去を手放しましょう。
手放したら、そこには空白ができます。
その空白には、もっと素敵なギフトが流れ込むでしょう。

その出来事を横目で見て、楽しんでください。

愛に敗北はありません。
正しいと思う事はエゴです。エゴにしがみつかず
幸せになる事だけを考えるときっとうまくいきます。

心の最も深いそうでは、誰もが同じ意識を共有している事に気づく事。

なんか難しいことかいちゃいましたけど
ときどき思い出してみてください。

もしかしたら、楽になれるかもしれません。

眺める事からはじめてみようね。