「死にたい」気持ちの、その奥に。 | mayuchapawonicaのブログ

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前回の「夫を手放す!?全7話」

の投稿を見てくれた方からこんなコメントが届いたよ📝

「自分が死にたい場合、何の執着なんだろう?と疑問が出てきました」

まずは、その「死にたい」って出てきた自分を、今、受け止めている(知覚している)自分を褒めてあげてほしいです。死にたいと執着が繋がるってことは、どうしても頻繁に出てきてしまう気持ちなのかなと想像できるから。大変だったね。よく頑張ったね。自分にハグしてね♡ありがとね。

そして

めっちゃいい質問!
と思ったのでまゆ的解説を。「死にたい」については、#双極性障害 #躁鬱病 の夫ヒデちゃんとも、研究しているテーマです。鬱と死にたいは、かなり深い繋がりがあるからね。

「死にたい」と思った人にたくさんインタビューしたわけではないし

「まゆ自身が死にたかった経験」を綴るわけじゃないので

あくまで、周りの人からもらったインスピレーションで書きます。

あなたが感じていることへ辿りつくための、ヒントになれば嬉しいです!答えではないからね。あくまでヒント。私はこう思う、などの意見あればコメント大歓迎です。


大事にしたいと思うよ。

「死にたい」と表現された、その奥にあるものを。

 



⭐️

 



結論から書くと「死にたい」という言葉は、ある種の超正常な生体反応というか、何か自分にとっての「不自然」が重なって、「自然の流れに戻したい」ということなのかなと思っています。

「不自然」はつらくて苦しいので
その今を終わりたい。
ここよりはマシなどこかへの路線変更。

その状態を、そのまま
「不自然」と名づけるとしてみよう。

「不自然」が続き、「死にたい」が言葉として自分から出てきた場合にはいくつかパターンが考えられると思う。

「死にたい」にも段階があって
ある段階を超えてしまうと、自分の意志とかそういうものが意味をなさなくなってしまう。半自動運転のような感じがある。そして、行動を起こしてしまう場合もある。

4段階にわけてみました。

 



①誤翻訳(悩む、苦しい、自己否定、不安)


誤った翻訳。浅い翻訳、とも言えるかも。自分の感覚にトランスレーションが追いついていない。自分の持つ感覚をうまく言葉では表現出来ず、あれでもないこれでもないとやっていくと、現存する言葉で「死にたい」が一番近い気がする。ドンピシャではないが、言葉にしないよりは言葉にしたほうが自分を捉えられるので「死にたい」という言葉に翻訳されている場合。

しっくりはこない(本当に、前のめりに死にたいわけではない)

今やっていることをやめたい、自分じゃないものを脱ぎたい、荷物を下ろしたい、止まりたい、疲れているから休みたい、何も考えたくないので空っぽでいたい、など

何かをやりたいのではなくて、何かをやめたい、という方向への渇望が大きいのではないかな?

この場合は、さらに高度な翻訳ができるようになると、「死にたい」のもっと奥=自分の存在、に触れることができるのかなと。

そのためには、止まらないと自分を確認できないから、このまま進むと「鬱病」という強制ストップが訪れる。



②死が希望になっている(無気力、孤独)

現実の可能性を一個一個実行していった結果、可能性が無くなってしまったと感じている場合。目の前の人生で、やれることはやり尽くした感。どこにも行けない。出口がない。ひとりぼっち。

可能性があるとしたら
「死」
それはまだ、試していない「輝く」可能性。

例えば、噂にだけ聞いていて、行ったことがないデスランド( death ☠️ land )みたいな。

そこに行けば、少なくとも「今を終わる」ことができるらしい。そこへ行った人は、この世界には戻って来れないので、レビューはないから確信はないけど。憧れ。希望。夢。

「死にたい」に希望を持って、支えられているような状態。

③死の方から押し寄せてくる(鬱状態、暗闇)

鬱が重い時のヒデちゃんを見ていると、自分の思考をガン無視して
死の方から押し寄せてくる。感覚があった。

例えばヒデちゃんは
「死のセールスマンがやってくる」と表現した。そのセールスマンは巧みだ。こっちの考えは読み尽くされている。扉を開けたつもりもないのに、気づけば玄関に座り込んで延々とセールストークを仕掛けてくる。

電車に乗って死ねば、簡単だ
飛び降りれば、楽勝だと
耳元で囁いてくる。消したいのに声が消えない。うるさい。判断力が弱まってくる。

 

別の友人は

死や、自傷行為をするというアイデアが

「毒入りの美味しそうなケーキ」

のような存在と表現してくれた。

 

「毒入りの美味しそうなケーキ」がそこら中に置いてある感じなの。絶対頭ではダメってわかってる。わかってるよ、だって毒が入ってるの知ってるから。これはケーキじゃないんだよ!って。ただ、数が多すぎる。そしてずーっと消えないの。あまりにも普通のケーキと見分けがつかない。美味しそう。

 

「そのうち誘惑に負けて、一口くらい食べてもいいんじゃないかって、気持ちになっちゃうんだよねえ」

 

頭ではわかっている、それは馬鹿げた発想だということが。

 

でも、セールスがうますぎる。

 

でも、ケーキが美味しそうすぎる。

 

騙されてもいいような気がする。

 

そんな葛藤がある状態。自分の思考のコントロールを超えてくる状態。

 

 

④死と同化

 

○○だから死にたい、という理由すらない。方程式がなく、「死」という答えだけが存在していて、自分には決定権がない。ああ、死ぬんだな、と傍観してしまう。

 

ある種の使命感のようなもの

もうこれしかないんだ、というような思考が挟まる余地がない感じ。諦め。受け入れ。

死への安心感。

 

これは、自殺の研究の本で読んで、知識として知ったもの。ここまでくると、自殺というのが「不自然」から、自分の中の「自然」へと転換してしまっていて、行動してしまうのかなと。

 

 

こんなふうに、段階に分けて考えてみました。

当事者の人はまた別の意見があるかもしれないし、つまりそれを「観察して知る」ことに意味があると思っている。観察=愛だし、見ること=認めること、だから。

 

 

 

メンタルが健康な時には想像できないことが、そうじゃない時に起きる場合はいくらでもある。誰にでも可能性はある。

 

だから、「死にたい」の奥を感じる、「ほんとうは何を感じているか?」を、感じようとすることはめっちゃ大事だと思う。時には、周りの人がわかった気にならず一緒に探したりする優しさも大事だと思っている(人の分まで背負う必要は全然ないけど)

 

 

私が、自分の仕事として関わってみたいと思うのは、予防医学的なこと。

 

重症になった患者さんを治療する救急病棟的な役割ではなく、もっともっと手間の「セルフケア」の部分。

 

そもそも、重症になる前に自分でケアすることが当たり前になればいいなって思っている。

 

食事、運動、ファッション、メイク、スキンケア、エステ、整体、ヨガ、瞑想…自分を健やかに保つ手段はいっぱいあるけど

 

見えない領域へのアプローチって、種類が少ないよねえ。カウンセリングか、コーチングか、スピリチュアルか、心療内科か、みたいな。もっと気軽に関われる、日々のストレッチみたいな感じのを作りたいなあと思って、ココマップの時からやってます。(今アップデート中)

 

体で例えたら、ヨガとかピラティスとかストレッチとかの分野。整える分野。

 

骨折してから病院行くんじゃなくて、そもそも日頃からトレーニングしたりケアして「しなやかに健康な身体」であれば、骨折することはなかったかもしれんよね。

 

だから、世の中的にも鬱病の人が多いってことは、不自然でいないと生きていけない世の中ってことでもあるし、どうしたら自然を保てるのか?というは、自分の中ではとてもいい問いなわけです。

 

やべ、質問なんだっけ?

お風呂入りながら書いたら長くなったわい。

 

 

 

質問は

「自分が死にたい場合、何の執着なんだろう?と疑問が出てきました」

 

これに答えると、自分がどんな状態で、その言葉が出てきたのかな?ってところは観察できるポイントだよね。

 

執着、という言葉は一旦横に置いておいて

執着探しよりまず「死にたい」に対応したいところです、ここは!

 

執着なんてしてもいいんだからね!(前の記事台無しw)でも本当よ!例えば、執着手放すために苦しくて死ぬんだったら、執着しまくって生きた方が楽しいと思う。

 

その人は向き合う段階があるってことね。

 

もし「なんで死にたいか全然わからないけどとにかく死にたい」という場合は、まずは物理的に体を休めましょう。と答えます。何かを解決しなくていいから!

 

とにかくよく寝る。休む。体を動かさない。横になる。人間は縦になるより、横になるほうが圧倒的に休めます。湧いてくる気持ちはとにかく、「OKわかったよ」と言って受け止める。否定しない。流す。自分1人で難しかったら、誰かにお願いして肯定してもらう。OKと言ってもらう。美味しいものを食べる。何も食べたくない場合は、プロテイン飲んでください。調理いらんし。シャカシャカ。タンパク質!あと鉄分!食べたくない時は食べなくてOk!水は飲んで。水は大事◎

 

専門家に頼るのも大事。無理しない。我慢しない。

 

どうかな?

 

そして、余裕が出てから「死にたい」について考えるようにしましょう。

 

こたえになったかわかりませんが、現場からは以上です。

君の光を信じています。

 

 

 

まゆ