母として① | Mayuのブログ

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台湾に来ています。

お仕事と台湾の大学に通う娘に会うためです。
 
  
・・・
 

台湾の大学に進学を決めたのは、彼女本人。

高校2年生の三者面談のとき、高校の先生から「どうして台湾なんですか?」と言われた。
 

「台湾の大学へ行くのなら、高校3年生では、今のクラスではダメです。就職クラスに移ることになります。」とも言った。
 

その時の娘の高校は、成績順のクラスで、1組から10組まであった。その10組の就職クラスに変わることになる。と言うのだ。

 

意味がわからず

『どうして台湾ではいけないのですか?』と、言った私。

答えることが出来なかった先生。

黙っている先生に、娘が言った。
 
 
 

「ママ。いいよ。私、10組で。」 
 
  

 
進学校だった娘の高校では、日本の大学進学のたくさんの実績がほしかったのだと思う。
 

そんな高校側の理由がわかった娘は、そのときから、必死で中国語を勉強した。
 

高校が終わってから「中国語学校」に通い、毎晩、夜11時に帰ってきた。

 
そんな娘に言った。
 
 
 
『きついよね。大変だよね。でもね。人生において、必死で頑張らなければいけない時が必ずあるんだよ。そんときは、必死でやるんだよ。』
 
   

そのとき、いつも娘は

「うん。わかった。
それにね。夢を叶えるためだ。
がんばるよ。」と言って笑った。

 

・・・

私は、1人で、3人の娘を育ててきた。

その姿を見ていた娘たちは

3人とも、私に経済的負担を少しでもかけまいと、よく働いてくれた。
 
 

萌もそうだった。

『中国語学校』に行くお金がいるだろうからと…
土日は、コンビニでバイトをしていた。(後で知ったことなんだけどね)
 
 

そうやって、頑張った1年間。
 
 

娘は、台湾の大学への進学が決まった。
 
 

そのとき、娘は言った。

「この1年間。きつかったし苦しかった。でも、ママは1度も  勉強しなさい  とは言わなかったね。だからこそ、やれるだけやりきったよ!」
 
 

その顔は、いつの間にか、大人になった顔だった。 
 

月曜日から金曜日は、高校から帰ってきて、1時間かけて、『中国語学校』へ行き、遅く帰ってきて、土日はバイト。
 
 

きつかったことだろう…

大変だったことだろう…

でも、私は、見て見ぬふりをした。

 
 

人生において、頑張らなければいけないときもあるのだ。必死で夢を追うときもあるのだ。そのときは、きつくて大変なのだ。 
 

でも、やりきったとき、自分自身に自信がもてる。「やりきったよ!」と言える自分になれる。
 
 

そして、その自信は、それからの未来の娘を支える大きな『勇気』となる。

  
私は、そのことを、娘たちに伝えたかった。

・・・

彼女が、台湾の大学に合格をして、福岡空港から旅立つ日。 
 

その瞬間、私は、彼女を抱きしめた。

思いっきり抱きしめた。 
 
 


「よく頑張った。苦しかったけど大変だったけど、よく頑張った!」
 
 
私は、泣きながら彼女にそう言った。

娘も泣いていた。

  

そして、搭乗口へ旅立つ瞬間。

萌は私の方を見て… 
 
 

『ママ!
もう、これからは、自分のためにお金を使って!
もう、これからは、自分の幸せをたくさん考えて!』
 

そう言って、旅立っていった。 
  
 


 
 その言葉を聞いて、涙が溢れてきて溢れてきてたまらなかった。
 

そのとき、私は…

娘を見て見ぬふりをしてきたけれど、心は見ていたことを、娘は知っていたのだなぁと思った。
 
ちゃんとわかっていてくれたんだなぁ…と思った。

・・・

 
そんな台湾。

そんな娘がいる台湾。

大好きな台湾。

今日、会えたら、また娘を抱きしめよう。

力いっぱい抱きしめよう。