子育てって、難しい。



特に、近所や同じ学年同士のお母さんとのお付き合い関係。



皆、少しずつ《子育て論》は違うだろうから、それがなかなか、面倒臭い。




自分の子が、いじめられていると思っているお母さん。

自分の子がいじめるはずはないと思っているお母さん。


自分の子が下校時、皆について行けなくて、わざと、おいてけぼりにされているのを見てしまったお母さん。



自分の子が、逆にいじめられていると、思っているお母さん。



下校時、また一人で帰って来る子供をいじめられているのでは?また怪我してるのでは?と心配でお迎えに行くお母さん。



それを、過保護だと言うお母さん。



公園に行くのに自転車が重いだろうからドアを開けてあげ見守るお母さん。



それを監視だと言うお母さん。






『子供は子供同士で、なるべく解決させましょう。』




そりゃそーだ。

でも自分の子供が仲間外れや意地悪をされているのを目の当たりにして、その言葉が言えますか? 放っておけますか?そういう事ですか?


他人の子供を叱ったり、説教して何が悪いのか??


昔の日本はそうだったはず。自分、他人、関係なく、悪い事をしていれば、叱る。自分の子の様に『いけないよ』と。




『自分の子供を信じている。』



確かにその気持ちは大事だ。

『自分の子供が本当に、そんな事するかしら?うちの子は、いじめたりしないわよ。』


それは、【信じている】のではなく、正に【過保護】だと思う。



親には、怒られたくないから悪い事をした時は何も言えず、嫌な思いをした時だけ報告。

親は鵜呑み。だから自分の子が意地悪しているとは夢にも思わない。信じない。




それが、【いじめ】に繋がるのかも知れない。と思った。
親の前では、いい子。子供達だけだと、意地悪な子。親はそんな子供の顔を知らない。
『うちの子はそんな子じゃない』と。





だから、信じているからこそ、疑ってみてもいいのではないか?


自分の子も何か意地悪したかな?と思ってもいいのではないか?



もっと地域全体で、考えなくてはならない問題。



【過保護】と【放任主義】

線引きや、間って難しいが、それよりも、言葉自体の意味を、はき違えているような気がする。



子供はまだ小学1年。意地悪しようと思ってしているとは思わない。ただそれを、子供達で解決させるのではなく、
『結果、意地悪になるんだよ』
と、大人が客観的に言って気付かせる必要はあるのではないだろうか。

それは親の責任だけではなく、大人としての責任だと思う。