会社辞めたい・・・
ある連絡メール。
会社では、どんなことがあっても平然・毅然と。
いろいろなこと(ブログを読んでいる方の中にも、ごく一部知っている)があってから・・・
同期(女)から無視されていても、嫌なことをされても「仕事は裏切らない!」を信じて、精神衛生をなんとか保ちながら、とにかく頑張ったこの2年。
一番やられたくなかったこと。
それが、現実になったようです・・・
メールを見た瞬間、ショック。というよりも、ただただ悲しい気持ち
泣きそうになったけれども、泣いたら収拾がつかなくなる。
グッとこらえて。話を聞いてもらった。
出社したくない。顔も見たくない。思い出したくもない。
記憶から消そうとしても、嫌なことだけは抹消できないのに。
また、呼び起こさせられる
そこには、『配慮』という言葉はないようです。
「いい加減にして!」「ふざけるな。」ギャーっとヒステリーを起こせれば苦しくならないのかな。でも、そんなことをしたら、その後に自己嫌悪に陥ってしまう・・・
もちろん言うつもりもないし、呆れ果てて話すことすら、いや顔すら見たくない。
もし過去が消せるとしたら、それに関連する全てを消し去りたーーーい
いい思い出は、ツライこと嫌なことで帳消しされるのに、なぜそれらは心の奥底に居座ってて、何かをきっかけにウヮーとよみがえってくるのだろう。他の人に同じことをやるな。という自分への戒めなのでしょうかね。
でも、あのことがなければ、ブログもやっていないし、今の自分もないのだから、精神的に強くなりながらつきあっていかなければならないのだろうなぁ・・・。
ある方から頂いたメール(転記させていただきました)
「もうさ、いいんじゃない?仕事のための人生じゃないし、自分の精神衛生上、環境を最適化・正規化するのも立派な処世術」
この状況から絶対逃げまい!逃げたら負けだ!と、
やめたい気持ちを殺して働いてきましたが・・・
環境を最適化・正規化をするのも、選択肢としてありだなと思った瞬間。
連絡メールが届いた時に、隣にいたのは遠距離の彼。
大阪からの帰り道、名古屋に途中下車
そうそう逢えないのに、タイミングよく傍にいてくれたことに、穏やかな心に戻してくれたことに、感謝、感謝。
以前、「人を想う気持ちって何だろう? 」というブログを書きましたが、
「好き」は自分が主人公。 「愛情」は相手が主人公。
自分の気持ちとは無関係に相手のことをどれだけ思えるか。
「愛情」部分が多いと、相手の感性でモノが見えてきたり、相手が望むものを提供できたり、相手が考えていることがわかったりする。
今までの人たちには感じなかった、彼は「これ」が大部分を占めている。そんな気がする。
即会社をやめられないので、精神衛生をしてもらいながら頑張ります。
今回のは、かなり強力なストレス源なので精神衛生も大変そうですが・・・
(後書き)
意味不明な内容ですみません。
他にはけ口がないので、ブログにはかせていただきました。