戦後炭鉱夫となっていた物理波矢多(もとろいはやた)は、灯台守になり

最初の赴任先は、大呴(たいが)岬の大呴灯台に海上保安庁職員として任命され、三年の任期の間に、自殺志願者の若い女性を助ける。


次に東北の厳栖(げんせい)地方の轟ヶ崎(ごうがみさき)灯台守として、赴任が決まる。


灯台守に纏わる怪談話の内容です。




灯台が出来る経緯が

長州藩がアメリカ商船とアメリカ、フランス、オランダの軍艦の下関事件から賠償金三百万ドルを幕府が払うということになり

百万ドルを納めたが残りは先のイギリスを加えた「日本政府は外国交易の出入安全の為に、確約灯台を約束」

十五ヶ所に設置。


日本で最初の灯台が明治二年(1869年)二月一日、フランス人の技師フランソワ.レオンス.ヴェルニーによって建設される。


その後の建設をしたイギリス人の技師リチャード.ヘンリー.ブラントンは「日本の灯台の父」と呼ばれている。


明治維新の最初の頃の仕事の中の一つに、幕府から受け継いだ灯台の建設があったとは

初めて知りました。



波矢多は轟ヶ崎灯台に行く為には船では、「九指岩」と名づけられた奇岸の群れがあり船の底が壊れてしまう為に

徒歩で行くことにする。

案内人に逃げられてしまい

仕方なく宿の人に行き方を教えてもらい出発。


轟ヶ崎灯台目指して、ほとんど登山して、やっと上り下り安堵したら密林の中に進む

その時から何かがついて来るような背後から‥‥「がさがさっ、ざあぁざぁぁ。」

暗くて、怖くて足を早めていると、一件の灯りが付いている家に辿り着く。

そな家では白い顔をした娘と老婆が現れて、快く一晩の接待を受けて

何とか灯台に到着。


後で聞く先輩の話で分かったことは、「白もん、白魔、白い人」と言われる伝承上の化け物が出るという轟ヶ崎の周辺の

誰もが暗黙の内緒にしていることだとわかる。


こんな辺鄙な所を通って、まして気が変になりかけるような怖い思いまでしながらの経験は、灯台守としての責任の強さの表れで

尊敬してしまいました。


怪談話の中で、先輩の二十年の前の経験が、全く波矢多が大呴(たいが)岬で助けた自殺志願者の女の子のことや、三年後に赴任してきた轟ヶ崎灯台に来るまでの道のりの出来事が

全て同じであると聞かされる。



海外の灯台守たちに纏わる内容で、怪談話として実際に言い伝えられていることを例に出し

波矢多は、自分と先輩の経験を推理して納得出来る解釈を話始める。

不気味な内容で

灯台守りならではの経験なのかなと思いました。



怪奇的な出来事の恐ろしさの中でも

灯台守として真摯に向きあう過酷な仕事振りには驚かされました。