守谷京斗は、JBCに入社以来報道局にいたが、突然イベント事業部へ移動になる

指導役の年下で入社6年目の吾妻李久美と一緒に企画を組むこととなり、

吾妻の所有していた、祖母の絵画「イサム・イノマタ」を巡って、

歴史的背景が動き出す。




守谷と吾妻は、この一枚の絵画をイベント企画として実行するために、

絵画の作者「猪俣勇」という人物を探すことから始める


絵画の絵は、ニ十世紀のスイスの画家「パウル・クレー」の

『芸術というものは見えるものを表現するのではなく、見えるものにすることである』という言葉が浮かぶ

誰しもが胸を衝かれる作品


だと表現されていて

こんなに興味深い絵画があったら、絶対にイベント企画の実行はするべきだと共感しました。



1961年に勇さんが行方不明、弟の傑(すぐる)さんは勇さんが行方不明になった日に焼身死

父親の兼通さんはその6年前に行方不明になっていた

ことが判明して、

絵画展を開くには著作権保護期間というあまり聞いたことのない言葉も出てきて

勉強になりました。


調べていくうちに、

戦争という悲劇の中、秋田の油田地帯という土地で

父親の兼通さんが実行した、一人で油田堀削作業の様子が明らかになり

これはもう執念の塊で、人間業ではなく何かに取り憑かれた鬼の化身のように感じました。



石油から化学製品のペットボトルの開発とアクリル絵の具の開発にも手掛ける

猪俣家の複雑な家族関係が交差する。



正義感を貫く勇は

弟の傑とは真逆の自ら生きずらい生活を選択して、戦争時代に出会った女性乃位君衣(のぞききみえ)の弟の乃位道生(のぞきみちお)を引き取る。


勇は、色の原料の石をや貝殻などから独自の色を造り

君衣の絵ばかり描いて過ごしていた。


道生は精神的に生まれつき障害があったが、兄のような師匠のような勇を

毎日見ていて

無垢のような気持ちで絵を模写するようになっていき、見たものを描かくことが出来るようになり

猪俣家の庭の水芭蕉の絵も描いていた。


吾妻が持っていた一枚の不思議な絵は、このようにして描かれたいたのかと納得しました。



一枚の絵から、歴史と猪俣家の人達の生き様が深すぎて


最後の方は涙腺が緩みぱっなしでした


守谷家、吾妻家、猪俣家を通して


生きること、生ていた証の

『なれのはて』の裏表の違いを感じた内容で圧倒されてしまいました。