功名心に燃えて関ヶ原の合戦(1600年)に西軍として参加した武蔵(たけぞう)と又八は
無惨にも西軍が惨敗する。
敗軍兵になり落ち延びる最中に、母親のお甲と娘の朱美親子に助けられる。
又八は母親のお甲の男妾になり、残るが、武蔵はその場所から飛び出して
修行の旅に出る。
武蔵は、又八をそそのかし兵になったことと、又八の許婚のお通をたぶらかしたと
疑われて、又八の家族から追われる身となる。
作州宮本村出身(現在の岡山県英田郡讃甘村大字宮本)の新免武蔵は17歳、背は五尺七寸(185㎝)、よく賭ける駿馬のような脛を持ち、眉が濃く、くっきりした眼
豊年童と言われて育つ
幼少期から暴れん坊で、悪太郎の手本のように育つ。
又八は隣村出身
容姿は武蔵と正反対であるが共に悪ガキ仲間。
又八にはお通という許婚がいた。
逃げていた時、郷里に沢庵和尚が登場してくる。
あっけなく
武蔵を捕まえた時は、
力より優れた物があるんだと、感心しました。
木に吊るされた武蔵だが、お通のおかげで逃げ切る
その後、姫路城の城主と沢庵和尚が知り合いということで、城に三年間読み書きをして籠る。
三年後の武蔵が沢庵和尚によって改名した名前が、
宮本出身を忘れない為に、新免武蔵(しんめんたけぞう)から宮本武蔵(みやもとむさし)となる。
この名前は、沢庵和尚によって授けられたのかと、初めて知りました。
武蔵は武者修行の旅に出て、自分の気持ちの変化に気づき始める。
荒くれ者で、自身の力や剣術が一番と成り上がっていた奢りの気持ちが、薄れていて、相手の感情が分かるようになってきていた。
伊勢に行く手前で釘を踏んでしまい、片方の足が腫れ上がっている時に、
山の崖の頂上まで這いつくばって登ったとたん、腫れていた足から一升分の膿が流れていた。
膿がそんなに溜まるものなのか、それまでに身体全体に膿が広がってしまっていたら
と思うと、
無茶修行も良いことがあるんだなと、思ってしまいした。
又八から許婚の解消の手紙をもらったお通と、武蔵を師匠と呼んでいる城太朗は、武蔵を追って旅に出る。
関ヶ原の後助けた娘の朱美、武蔵を仇と思い込んでいる又八の母(お杉ばば)も、
武蔵を追っていた。
船に乗って旅をしていた岩国の麒麟児と言われている佐々木小次郎が、
吉川道場に加勢をすることになる。
武蔵は、その吉川道場の清一郎に果し状を送っていた。

