増島翠は、実家の米を引き取る為に運ぶのを手伝ってくれる友人がいると職場の同僚に紹介してもらい、そこに現れたのは、
強面ヤンキー風の軽トラ(田舎のポルシェ)を運転した瀬沼だった。
軽トラでの狭い運転席と助手席に座りドライブがはじまる。
岐阜から東京へ、東京から米150キロから(叔父叔母が育てて収穫してくれた一年分を全部持って帰って欲しいと言われ360キロと、小麦1キロと大きなおにぎり15ケ)になり、
台風も近ずき、
高速での煽り運転やパトロール警官に職質されて、小麦1キロを見られて、薬の売人と間違わられたり
道路の陥没での若い親子の人助けたりしながら、
台風で足止めをくらい、地元の避難所では歓迎されなかったが、
偶然辿り着いた火葬場での、人の温もりと、
米を育ててくれた叔父叔母の土産のおにぎりを火葬場に残されていた家族に配った
時に初めて
今までにお米のありがたみを感じたことがなかった気持ちが
とても尊いお米のありがたみに変わり、
小さい頃に祖母に言われたていた
「米を食わなきゃ日本人ではない」
という
一番の日本人の基礎のような言葉が
再認識されたように脳裏に浮かんでいる様子が、
何となく
これからの360キロのお米の正しい使い道が明るく見えたように感じました。
瀬沼のネックレスが気になっていた翠は、運転中に
聞かされる
「プラクルアンというネックレスで、タイでは仏像や高僧、ガネーシャなどを形取った小さなお守り
自分の護符だから」
どんな困難にあっても必ず大丈夫だという堂々とした瀬沼の態度があり、
翠は瀬沼と一日中の波瀾万丈の田舎のポルシェに乗ってドライブしたことで
お米や、生まれ育った封建的な家に対する偏見な考え方が
自身の中で良い方向に変わってきていることに気づいたようで、嬉しくなりました。