民を想い、民を信じ、正義を貫こうとした青年武将(久秀)のちの松永弾正は、なぜ稀代の悪人となったか


天正五年(一五七七年)。ある晩、天下統一に邁進する織田信長が一人の小姓を相手に、

三度目の謀反を企てた武将(松永弾正)の全てを語って聞かせた内容です。






久秀は、身分の低い生まれで、親を亡くし、弟、甚助と、子供同士の仲間達と、追い剥ぎをしながら生きながらえていた


追い剥ぎをしていた頃の子供達だけで生きることがどんなに大変な時代だったのか

生死を彷徨う毎日の様子が伝わってきます。


後に生き残った弟と、女の子の日夏の3人は、あるお寺の世話になる。


住職を介して兄弟は三好元長に仕える

その後、名前を松永久兵衛久秀、弟の甚助は、甚助長頼と改める


仲間、瓦林総次郎秀重、海老名権六、四方井源八らと共に

室町幕府の崩壊の立役者になる。


堺衆五百人で武田元光軍勢2万人を相手に163人の討死だけで

見事勝利した時は、

作戦の戦略と、度胸の見事さに圧倒されました。


後に大和の一国主になる。


元長の見た夢(民に政を任せる世の中にする)に向かって

牛の如き歩み一歩、そしてまた一歩と進んでいる様子の中に苦難な毎日があり

あらゆる人物からの妬みを感じて

生きているんだなぁと、辛さが伝わってきます、


兄弟との会話の仲間に、

弟の甚助が兄に対して、

兄は、九分九厘以外の残りの一厘の人物であると語っている


(富を独占しょうとする者は、戦さを繰り返し、現生だけでなく百年先を生きる者からも奪おうとしている。


稀に兄のような一厘の人物が最後まで抗い続けて

一個の人もそれらが織りなす人間も同じ割合で弱さと強さを持っている

人間の強さは、その時代に抗え続けた人の強さだから

人の記憶に残り、

新たな時代を切り開こうとする者だけが歴史に名が残る。)


何となく理解が出来たような納得のいく言葉だなと、反復してしてしまいました。



茶の湯の巨人新五郎の(後の武永紹鴎)の弟子にもなり

(千利休、津田宗久、今井家久を牽引する者達に大きな影響を与える)

久秀は、兄弟弟子にあたる。


名を残すことは

怨み、妬みを受けながら

運命、試練、勇気、強さ、優しさ、愛情、色んなことを体験して

人と人との間「じんかん」は人が織りなす

つまりこの世

教えて頂きました。


悪名高き人物像とは違い

正反対の信念のある、民を思いやる優しい人物像であったことも

認識させて頂きました。