ゴッホ(フィンセント.ウィレム.ファン.ゴッホ)一八五三年〜一八九〇年、三十七歳で亡くなる
(絵を描き始めは、二十七歳〜三十七歳の10年間)
生きているうち(亡くなる一ヶ月前)は、一枚の写真【赤い葡萄畑】だけが売れるだけだった。
良く知っているのは、ロンドン版【ひまわり】が、脳裏に浮かんできます。
本の内容を読んでいると、
最初の絵は、内面を表現する
力強くて、少し暗い色使いの絵が、多く、
この黄色ぽい色味に変わっていたのは、
パリ万博の時に、美術商の通訳として訪れた、人物 林忠正 がいる。
日本から展示する為に持って来た、 「浮世絵」の絵に魅了されて、
林忠正は、
パリに住み着き、「若井.林商会」のちに独立して「林商店」オープンさせて、
日本の絵を積極的に広める。
後に、長い間、鎖国していた為に、この変化に納得出来ない日本は、この行為を国賊と、判断してしまう。
林は、失意して五十三歳でなくなる。
その浮世絵の影響(ジャポニズム)によって、亡くなる2年前が、
同時に
精神的にも、病んでいる時が、
絵に積極な明るさを増して、
良い作品に出来上がっている。
亡くなってから、とてつもない金額で、次から次へと落札されている。
ゴッホや、仲間達が、生前に、少しずつでも、
認められていたら。
頑張っても、日の目が見られない辛さは、
経済的、精神的にも、追い詰められる要因なのかなぁと、思いました。
ゴッホの絵は
天才と、色んな絵の影響と、内面の闇の深さ、
そして、何より1番の理解者は、画商である弟の テオ(テオドルス.ファン.ゴッホ)と、
画材の道具を無償で与えていたタンギー爺さんの力があったから。
生み出された作品の重みを感じます。
とても勉強になりました。
