美濃の国に追われて、諸国を巡り、尾張の織田信長の元で働くが、やがて色々あり、その主君を討つことに。


信長を討った本能寺の変から、光秀は、天海僧正という名で、家康を影から支えて、天才的な能力を発揮させ118才まで生きた人物になっていました。


歴史上では、

天海僧正という人は、江戸時代を平和の世に貢献した人物であり、家康、二代将軍秀忠、三代将軍家光を通して、影の存在として政治に最後まで関わって、107歳まで生きていたと言われています。

本能寺の変から、光秀は、一般的には、三日天下という言葉があるように、明智家の本拠地である近江坂本城を目指して落ち伸びようとしていた時、竹藪で農民に襲われて死んだか、怪我をした為に運命が尽きたと思い、その場で自害をした、どちらかと認識していました。


春日局(斎藤利三の娘)お福は、光秀と、家康のとっても大事な橋渡しをしていましたね。

惜しい人物である光秀をよくぞ、ここまで生きながらせてもらったことに感動しました。

光秀は苦悩を味わった分、人生の後半を太平の世に貢献して、長寿を全う出来たことは、素晴らしいことですね。