アラフォー 未婚シングルマザーへの道のり -20ページ目

彼と出会う前までの私の恋愛③

もう恋愛も結婚もしやん!と思っていた私ですが、少しずつ気持ちの変化が現れました。
父の病気は相変わらずで、3ヶ月毎に検査をする度に新しく腫瘍が出来ていく状態。腫瘍が出てはラジオ波で切除しての繰り返しでした。
何度治療したことか…。
肝臓だけでなく腹膜にも出来たり、時には血管の近くで手術出来ないと言われることもありました。
そんな中でも父は一生懸命治療に向き合っていました。

そんな時父の幸せとは何だろうと考えました。
私は一人娘で小さい頃から両親には本当に大切に育ててもらいました。
やっぱり花嫁姿見せてあげたいなぁ、元気なうちに一緒にバージンロード歩いてあげたいなぁと思うようになりました。
そこで封印していた婚活を新たにスタートすることを決意したのですニコニコ
その時私はもう30歳になろうとしていました。
まだまだイケるやろちゅー


が、時すでに遅し真顔


暗黒時代の始まりです笑い泣き笑い泣き笑い泣き

彼と出会う前までの私の恋愛②

活動しなかった3年間の間にいろいろなことがありました。
父が病気になりました。
しかも厄介な膵臓。
もともと私が25歳の時に人間ドックで受けた検査で腫瘍が見つかりました。
実はこれって奇跡に近いことなんです
膵臓は臓器の裏に隠れていて人間ドックで見つかるのは珍しいことだそうです。
なので皆さん癌が分かる頃にはかなり進行していて、痛みが出て初めて分かるという方が多いらしいです。
私の父は膵臓でも珍しく膵尾に腫瘍が出来ており、病院の先生も

「まぁ多分良性だと思うけど、いらないものなので取っておきましょうか」ということになりました。

後に検査にかけた結果悪性腫瘍ということが判明しました。
そしてもし腫瘍を摂取していなかったら、余命半年くらいだったかもしれないと言われました。
人間ドックで見つけて下さった先生には本当に感謝ですえーん

しかしやはり悪性だった為、2年後に肝臓に転移しました。そして検査を進めるにあたり、父の病気は膵臓癌の中でも何百万人に一人という特殊な病気で今のところ(10年程前)、この病気を治す薬はありませんとのことでした。
腫瘍が出来たらその都度切除する、それしか今の所治療法がありませんと。
絶望でした。

私の家は自営業です。
少ないながらも従業員もいます。
私には兄と弟がいますが、当時兄は別の職場で働き、弟はまだ学生でした。
家族経営ならまだしも従業員もいるので、その家族も養っていかなければなりません。
自分がいなくなれば会社は潰れる、、、父は兄に家を継いで欲しいことを伝えました。
そしてその後入退院を繰り返す父に母も付き添う日々が多くなり、とてもじゃないけど母がしていた経理の仕事に負担がかかるようになり、仕事が難しくなりました。

娘の私に

「ごめんやけど、あなたが家にいてくれたら助かる」

との母の言葉に、私も当時働いていた仕事ももうやりつくしたなぁー、辞めてもいいかなと思っていたので9年間働いていた職場を退職し、家の会社を手伝うようになりました。


なんだか闘病ブログのようになっていますが、
今現在、父はキラキラ奇跡キラキラの連続で今も生きてますニコニコ
余命半年、治療法がないと言われていましたが、当初の膵臓癌発見からすでに13年
当初の人間ドックで見つけて頂いた日赤では使える薬が決められているので大学病院に移り、いろんな治験をし、民間療法、温熱療法、免疫療法など様々なことをしてきました。
いつもギリギリの所で何度も何度も家族も覚悟しました。
でも今も生きてますニコニコ
確実に医学は進歩しています。
今現在使っている薬が効かなくなって再発したら、違う薬が出来ててそれが効くかもしれないからそれを使っていきましょうと今も先生に言われています。
私も父の病気のことで、いろんな方の闘病ブログを読ませて頂いています。
今現在闘病されている方々にもキラキラ奇跡キラキラが起きることを心から願っております。


私のこれからの恋愛を語る上で父の病気のことは書かずにはいられませんでした。
長々と書かせて頂きましたが次回からはまた私の恋愛、暗黒時代の始まりに突入させて頂きます真顔
引き続きよろしくお願い致します。



彼と出会う前までの私の恋愛①

過去を振り返ると私は本当に男運がありませんえーん

占い🔮に行き、生年月日を伝えると第一声がいつも

「男の星がないね真顔


99.9%の確率で毎回言われてきた私笑い泣き笑い泣き笑い泣き笑い泣き笑い泣き笑い泣き

確かに私の人生
女子中→女子校→短大→女だらけの職場→おっさんだらけの職場笑い泣き(←現在)

自分で活動しない限り日常生活において男の人とは無縁の生活でした。

それでも数は多くないですがそれなりに恋愛はしてきました。
でも恋愛運の無い私は付き合う人付き合う人、なかなか厄介な人が多かったのも事実です笑い泣き

私の両親は厳しく、今の時代には珍しく結婚するなら釣書をというくらいの家庭でした
今はそんな時代ではないというのをだいぶ理解してくれていますが、、、。

これは親にはちょっと紹介出来ないなぁーという恋愛が続いた私は27歳の時にヤケクソになり、もう私は恋愛も結婚もしやん!と婚活を封印しましたショボーン
そこから3年間まったく何の活動もせず仕事に没頭したのです。

今振り返ると20代最後の3年間なんともったいないことをしてしまったのでしょう笑い泣き笑い泣き笑い泣き