映画「僕は猟師になった」 | めもり*ブログ

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知人からチケットをいただき、急きょ映画を観てきた。

京都に暮らし、わな猟で猪や鹿を獲る男性が主人公のドキュメンタリー映画。冒頭からわなにかかった猪にトドメを刺すシーンが画面に現れ、直視できなくて「これは無理かもしれない…」と腰が浮きかけた。

 

かつて、犬を飼いはじめたとき、「動物の命を奪って食べる」ことに抵抗を感じてしまい、肉が食べられなくなった時期があった。

食べるために動物を殺すのは可哀想だとか申し訳ないとか、そんなのは偽善だ。

と言われたこともあるし、それに関して異論はない。その通りだと思う。

 

主人公である千松さんも、「命を奪うことに慣れることはない」と言う。

ただ、誰かが殺して加工してくれた肉を、自分はスーパーで買ってきて食べるだけ…というのは気持ちが悪いのだと。食べるなら、きちんと動物と向き合って、必要な分だけをいただく。それが、千松さんにとっては当然のことだったようだ。

 

わなにかかり、なんとか逃れよう生き延びようとする獣を、棒で殴って気絶させ、心臓にナイフを突き立ててトドメを刺す。ナイフを刺される前の悲鳴のような鳴き声や呼吸が消えていく様子は、残酷でもある一方、その脇でじっと最期を見守る千松さんの振る舞いには慈愛とリスペクトが溢れていた。

命が消えゆく獣と共にあるとき、千松さんの姿は獣と、その命に寄り添っているように見えた。

 

獲った猪は、骨も煮込んでスープにしたり、脂を使って軟膏を作ったり、内臓を干して薬にしたりと余すところなく活用していたのも印象的だった。

これも、貴重な食材・資源を無駄にしないというリスペクトの形だ。

 

生きること。食べること。

場合によっては他者の犠牲なくして成立しないものもあるのかもしれない。

重たいことだけれど、生かされていることを忘れず、感謝の気持ちをなくさずにいたいと改めて思った。

 

▲いただきものの猪肉を取り出したら、お嬢がロックオン状態に…(2021年2月)

 

配信もしているようなので、気になる方はぜひ。

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