令和6年元旦に起きた

能登半島地震で、

珠洲市の実家が被災しました。

 

 

 

 

私と主人は帰省せず

東京にいたので無事です。

 

 

 

私の家族、親戚も

幸いにもみんな無事でした。

 

 

 

今は、家族、親戚それぞれが

近くの高台にある避難所で

避難生活を送っていたり

金沢に避難した親戚もいます。

 

 

 

 

我が家は、父と母、祖母

弟、弟の奥さん、子供2人

の7人家族で暮らしています。

 

 

 

実は、今年はたまたま

大晦日の夜から弟家族が

名古屋へ出掛けていて...

年寄り3人でお正月を迎えていたので

 

 

 

今年は母も楽して

お節料理は注文していたしく、

元旦から届いたお節料理の

写真を送ってくれたりしていました。

 

 

 

 

元旦の母とのLINEのやり取り↓

 

 

 

 

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そして...この後また、

母からLINEが来てすぐのことでした。

 

 

 

 

主人が隣の部屋から

「珠洲、地震!!」と叫び

驚いていると、東京も

不気味な揺れ方で揺れ出しました。

 

 

 

何とも言えない胸騒ぎと

すごく嫌な予感がして、

母にすぐ電話。

だけど出ない。

 

 

 

 

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NHKをつけると、津波が来ると。

しかも5mの大津波警報。

 

 

 

NHKのアナウンサーが

すごい勢いで必死に叫んでいて...

 

 

 

私はここでもう大号泣しながら

パニックになりながらも

必死で母にまたLINE、電話。

 

 

 

そして、地元にいる

親戚にも電話するも出ない。

 

 

 

 

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大号泣とパニックで

震えながら待っていたら、

母からの電話。(16時41分)

 

 

ちなみに、この時点ですでに津波は到達していたと思われます。

 

 

 

父と祖母と一緒に

今から車で高台にある

小学校に逃げるとのこと。

(私も通っていた小学校)

 

 

 

隣に住んでいる

一人暮らしのおばあちゃんも

一緒に連れていくと。←安心。

(たまたま歩いていた出稼ぎに来ているフィリピンの方も乗せたらしい)

 

 

 

近くからは、

近所の人たちの

知っている声も聞こえました。

(みんなで逃げよう!ってなったみたいです)

 

 

 

「とにかく早く逃げてーー!!!!」

私は泣き叫びながら必死で訴えました。

東京にいる私には

とにかくそれしかできなくて。

 

 

 

 

これを書きながらも今、

思い出しただけで

涙が止まらないです。

 

 

 

本当に怖かった。

 

 

 

なぜなら、私の実家は

珠洲市の海沿いにあって

なんなら目の前が海だから。

 

 

 

17時32分の電話は

無事に避難所に着いたから

安心して!という電話でした。

ここでひとまずホッとしました。

 

 

 

 

続きはまた書きます。

現地からの被災地の写真も

載せていく予定なので、

苦手な方はスルーして下さい。

 

 

 

 

またお祭りに帰れる日が来るかな...。早く帰ってみんなの顔が見たいです。

 

 

 

 

 

 

わたしの実家もある地元、石川県珠洲市の【ふるさと納税】災害応援寄付金です。

もしも寄付先に迷われている方がいたらぜひチェックしてみてください。