「できるだけ良い気分でいよう♡」

とか…
わたしも前は言ってたな。


「好きな人や好きなものだけに
囲まれて生きよう♡」的なやつ。


裏を返せば、
「嫌いな人や嫌な出来事は排除しよう」的な。

「臭いものには蓋をしよう」的な。



たしかに「できるだけ良い気分でいる」
というのは間違いではないのだけど…

今はこれ、
なんか違うなと感じていて…。


なぜならそれって
そもそもが…

"無理"な話だから。



現に今、世界中のみんなが
目に見えないかなり恐ろしい
(とされる)ウイルスに囲まれて
生きてるわけじゃないですか?


そんな中で、
「わたし、コロナ大好き〜♡」
「コロナに囲まれて生きたいの♡」
「コロナをそばに置いておきたい!」

なんて人が1人でもいますか?
ってこと。(笑)


おそらくだけど、
世界中どこを探してもきっと
なかなかいないんじゃないかしら?



けれども現に、今私たちはみんな
コロナというウイルスに囲まれて生活してる。

…となると、
やっぱりどんなに気分良くいようとしても
どれだけ嫌なものを避けようとしても

どうしたって無理な時が
必ずあるよね?ってことなんです。



だとしたらもうそれ、

「避けようとするよりも
受け入れちゃった方がよいのでは?」

って思うわけです。

(コロナになった方がいいとかではなく、
起きてる嫌な現実を受け入れちゃった方が
楽じゃないかい?ってこと。)



例えば、
嫌なことを言ってくる人や
嫌なことをしてくる人って
多かれ少なかれ必ずいますよね。

そういう人達を
避けよう、排除しよう、
見て見ぬ振りをしようとすることは
もしかしたら簡単なことなのかもしれません。


だけどね、
こんな風に考えてみたらどうでしょう。

もしもその人たちが、

"自分でも気付いていない
大切な何かについて
教えてくれようとしてるとしたら?"



今回のコロナウイルスの件も
全く同じです。


もしもコロナウイルスが、
"私たち人類が自分たちでも
気付いていない大切な何かについて
教えてくれようとしてるとしたら?"


そういう視点に立ってみると、
きっと見えてくるものが
違ってくると思うのです。



現実に起こることはすべて
意味があって起きています。

そして、例え無意識であろうとも
それらはすべて私たち自身が
望んだからこそ起きていることなのです。


そういう意味で言うと、
好きな人や良い出来事だけではなく
嫌いな人や嫌な出来事にも
すべてには必ず意味があるし

"私たちに必要だから起きている"
んですよね。



わたしの経験上ですが、
嫌いな人や嫌な出来事こそが
「人生の先生」です。


好きな人や良い出来事が
教えてくれない大切なことを
彼らはいつも必ず教えてくれるからです。



見たくない、聞きたくないことにこそ
大切なことが必ず隠されていますよ♡






by パピヨンMAYUKO