こんにちは


mayuです。








『新約聖書』
「ヨハネによる福音書」冒頭



初めに言葉があった。


言葉は神と共にあった。


言葉は神であった。


この言葉は初めに神と共にあった。


すべてのものはこれによってできた。


できたもののうち一つとして

これによらないものはなかった。


この言葉に命があった。


そしてこの命は人の光であった。


光は闇の中に輝いている。


そして闇はこれに勝たなかった。




「はじめに言葉ありき」


聖書を知らなくても

この言葉は聞いたことがある

という人も多いのではないでしょうか。



これ、どういう意味かと言うと



この世界が創造された時

まずはじめに

「言葉」があったということ。






仮にこれが本当の話だとして

いまあるこの世界を捉えてみると



たしかに「言葉」がなければ

すべてのことが

成り立たないことがわかります。



「言葉」とは

「意味」や「概念」「解釈」のこと。



そしてその先には

「イマジネーション(想像)」

や「ストーリー」が生まれます。





例えば私たちが

考えごとをする時



「言葉」がなければ

どうやって考えごとを

するでしょうか?



想像してみて欲しいのです。



いまこのブログを読むのを

一旦やめて

「言葉」を使わずに

考えごとをしてみてください。







どうですか?



できますか?これ?





どうしたって

まず「言葉」が

出てきてしまいませんか?




これこそが

私たちが「言葉」で世界を

創造している証拠なのです。




私たちはもはや

「言葉」なしでは

何も創造できません。




逆に言えば



「言葉」のチカラをうまく使えば

望む現実を創造できるとも言えます。




それほどまでに

「言葉」のパワーというのは

絶大なのです。



なぜならここ日本には

「言霊」という言葉がありますが

私たちと同じように言葉にも

一つ一つに魂が宿っているからです。






これを踏まえた上で

ここから

とても大切な話をします。




私たちは一人一人

「自分の言葉」で

「自分の現実」を創っています。



「言葉」はいつだって

選べますし

実際私たちはいつも選んでいます。



それは話す「言葉」だけに限らず

頭の中で使っている

「言葉」(思考)も同じです。



むしろ頭の中で

どんな「言葉」を使っているか

どんな「思考」をしているか

の方が重要かもしれないくらいです。



なぜなら

「思考は現実化する」からです。





そこで

「望む現実が創造できる人」と

「望まない現実を創造してしまう人」

との差ってなんだろう?

と考えたときに



これもやっぱり

まずは「言葉」の違いなのが

わかります。



話す言葉でも

思考する際に使う言葉でも

どれだけ自分の望みと見合った言葉

(同じエネルギーの言葉)を

使えたかどうかがキーを握っています。



そしていかに

周りのどうでもいい言葉

いわゆる

自分の望みと見合わない言葉を



受け取らずに

引きずらずに

サッと流せるかも鍵なのです。





新聞、テレビ、ラジオ、広告

インターネット、SNS、本、雑誌

リアルな人間関係



私たちの周りは

常にたくさんの言葉で溢れています。



そんな中で

自分の望みと見合う言葉

見合わない言葉を

しっかり取捨選択していくことが大切です。




もしも無意識にも

望まない現実に見合う言葉を

受け取り、しかも自分も使うように

なってしまったとしたら



それはあなたが

自分の望む現実ではなく

別の誰かの望む現実の創造に

知らず知らずにもパワーを与え

手を貸していることになるのです。




だからいつも

「自分に集中」なのです。


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自分も望む現実なのであれば

いくらでも手を貸したらいいです。

例えば応援したい人など。




だけどもしそうでないなら

自分で気付いていくこと

そして自分にパワーを取り戻すこと

が大切です。






この世界のすべてのものは

エネルギーでできていて

「言葉」もやっぱり例に漏れず

エネルギーでできています。




「夢ノート」や「感謝ノート」

「やりたいことリスト」など

よく紙に書くといいと言われたり



「夢は宣言すると叶いやすい」

と言われるのも

「言葉」がそれだけパワフルな

エネルギーを持っているからなのです。




「言葉」は

私たちにとって

毒にも薬にもなります。   




そのことを

決して忘れないよう

「言葉」は賢く

使っていかなければなりません。





では、また。