12月11日土曜日の出来事ですが、休みが忙しくてアップできなかったので、今更ですがアップします。



前日は忘年会とあって、多少二日酔い状態。必死になって出かけたら、ひげを剃るのも忘れ、会場に着いたら水分大放出の大汗!
いつの間にか研修室からホール(?)に変更になっていた。そりゃそうだろう。先着100名までとあったが、実際の応募は128名と軽くオーバーして、あわてて締め切ったそうだ。研修室では、総勢100名はやっとと思われたので、主催者側・来賓者・スタッフを合わせれば200名程度の部屋が必要と思われたからだ。実際は、応募しないできた方も多く、場所変更は大いに好印象だったと思われた。


参加した私にとっても、何人かの知り合いがいて、大いに楽しめた。そこで若干のコメントをアップします。
1.主催はあくまでも(社)神奈川県測量設計業協会。
2.来賓として、土木学会神奈川支部・神奈川県副知事・神奈川県議長等の他に座間市議員約10名・相模原市議員1名が列席。
3.認定授与者は座間市長及び相模原市長(部長が代理)の両名。
4.感謝状授与者は南端点の敷地所有者(年齢80代とかなり高齢)
  座間市ひばりが丘で、ご自分の医院の敷地に1等三角点の南端点がある。
5.記念講演 演題~相模野基線と日本近代測量の足跡「川本利一」
 1.近代測量の変遷(明治時代)
 2.基線設置の経緯
 3.基線測量(ヒルガード4m基線尺使用)とは
 4.「相模野基線」の測量
 5.測量技術の変遷
 6.現代の測量技術(宇宙技術の到来)

私にとっては、何かと知っているようだが詳しくは知らないので、今回の公演を聞いて初めて尽くしで大変楽しいものとなった。
『どうして「相模野基線」は必要だったか』に尽きると思うが、興味深い内容を中心にアップします。
1. 三角形を形作れば相互の関係が分かる。しかし1辺の長さが分からないと大きさが分からない。
2.1800年頃は、角度を測る器械(経緯儀~トランシット)はあったが、距離を測る器械はあるにはあったが数メートル程度を測るものしか無かった。
3.地球の大きさや日本の地図を作るには、誤差を極力少なくするためにどうしても何十キロ単位の距離を正しく測定することが必要だった。
4.基線設置の候補地は、平坦地で端点間が見渡せて、端点間の比高差が少ない場所。
5.基線を測量することが「基線測量」です。ここで、2点間の長さが正しく測定して、その長さが基になって三角形の大きさを決める。
6.日本国内では、明治15年に相模野基線をスタートに明治44年の沖縄基線まで、全国に14か所の基線を設置した。基線の長さは概ね3~5km。
7.基線場でどのようにして距離を測ったかだ。もともと基準がなかったので、アメリカで使われていた「ヒルガード式4m基線尺」と言う2級スケール(精度の良いのは1級です)で測定した。
8.今でこそ相模野の基線長は5km程だが、それを測るのに4mのスケールで測るなんて信じられないようね。でも、明治のころはそれしかないので、「ヒルガード式4m基線尺」を何台かつなぎ合わせて、測定が終わったら先に送って測ったと。と言うことは、4mの測定を何回測ったのかと見ると、約5210/4=1302.5→1303回測ったことになる。
9.相模野の場合は当時はほとんど桑畑で、幅2mで伐採し、凸凹をなくすために根っこまでを抜いて、まず平らに整地した。そして「ヒルガード式4m基線尺」の3脚をスムーズに設置できるように等間隔に木杭をあらかじめ打ったそうだ。また「ヒルガード式4m基線尺」は鉄製なので、温度変化で伸び縮みするので、天幕を張ったりしたそうだ。
10.相模野基線以外は1回だけ測定しているが、相模野基線だけは4回測定している。
第1回 明治15年(ヒルガード式4m基線尺使用)…陸軍参謀本部陸地測量部
第2回 明治35年(100m鋼巻尺使用)…測地学委員会
第3回 明治43年(25mインバール線状尺使用)…測地学委員会
第4回 大正13年(25mインバール線状尺使用)…陸軍参謀本部陸地測量部~~関東大震災後の復旧測量のため



14基線の一覧

名称 所在地 測定年度 所要日数 基線の長さ(m) 誤差
1 相模野 神奈川 明治15年 106 5,209.9697 2.931
2 三方原 静岡 明治16年     - 10,839.9757 6.970
3 饗庭野 滋賀 明治18年 56 3,065.7239 0.766
4 西林村 徳島 明治20年 51 2,832.2124 1.688
5 天神野 鳥取 明治21年 54 3,301.8051 0.893
6 久留米 福岡 明治22年 45 3,161.0071 1.685
7 笠野原 鹿児島 明治25年 68 5,875.5088 1.451
8 塩野原 山形 明治27年 76 5,129.5872 1.869
9 須坂 長野 明治29年 68 3,921.9120 0.739
10 鶴兜平 青森 明治31年 51 4,006.0309 0.518
11 札幌 北海道 明治33年 74 4,539.7703 1.418
12 薫別 北海道 明治36年 89 4,069.8502 0.376
13 聲問 北海道 明治41年 113 2,677.5035 0.405
14 沖縄 沖縄 明治44年 85 4,151.6673 0.409
a 「-」は内務省が実施で、不明。


b 基線長は概ね3~5km。



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「相模野基線」土木学会選奨土木遺産認定顕彰式及び記念講演
22.12.11 10時~12時
サニープレイス座間(座間市役所隣)
式次第
1.開会
2.主催者あいさつ
3.来賓祝辞
4.出席来賓の紹介
5.認定証授与 授与者あいさつ・授与
6.感謝状授与
7.受賞者あいさつ
8.記念講演
 演題~相模野基線と日本近代測量の足跡
 講師~国土地理院関東地方測量部測量課長 川本利一
9.閉会
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神奈川新聞記事:近代測量発祥の地「相模野基線」を土木遺産に認定、座間で記念式典/神奈川

 明治時代、西洋技術を使って地図を作成する際、最初の基準となった「相模野基線1件」を土木学会が土木遺産1件に認証する記念式典が11日、座間市緑ケ丘のサニープレイス座間で行われた。日本の近代測量の発祥地としての価値が認められたもので、関係者に認定証や感謝状が手渡された。
 基線は、相模原市南区麻溝台(北端)と座間市ひばりが丘(南端)とを結ぶもので、長さは約5210メートル。1882年、陸軍省参謀本部測量課(現国土交通省国土地理院)が、全国の地形図を作成する際に最初に測量した。その後、同基線を三角形の底辺に見立て、さまざまな場所との距離を計測する基準とされた。
 記念講演では、国土地理院関東地方部の川本利一測量課長が相模野基線が果たした役割などについて説明。「全国で基線が無くなっている中、地域と一緒に残していく必要がある」と強調した。
 式典では、座間市の遠藤三紀夫市長らに認定証が手渡されたほか、自宅の敷地内に基線の南端があり、保存に努めてきた鳥羽孝夫さん(84)に感謝状が贈られた。鳥羽さんは「きちんと残したかいがあった。遺産に認定されたので、これからも、大事に残していきたい」と笑顔で話していた。

リンクはこちら


相模野基線測量原簿(ヒルガード式4m基線尺の説明がある)~~リンクはあちら



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