異父姉、母

2人が良き道に進みそうな気がしている、決して異父姉は母を母として必要ともしないだろうし、認めることもない。

でも、2人は2人なりのいい関係が築ける気がする。

それは母の父(祖父)の存在が大きい。それをこの間の夕食でわかった。

祖父は愛に満ちた人だった。

1言もひとの愚痴を言ったこともなければ、批判もない。

そして誰からも祖父の悪口を聞くこともなかった。みんなから愛されていた。
決して器用な人でもない。でも祖父はたくさんの愛を私の母、異父姉弟、そして私たちにまで与えてくれていた。

祖父のおかげだと異父姉は言う。
祖父がいたから、すべてを受け入れることができたと。
じゃなかったら、私はグレていただろうし、まともに生きていくこともなかったと。

祖父が大切で、最も愛していたし、今も心にいる。それが2人の共通な気持だった。


私はその姉の心理を知ることがずっと怖かった。

小さいころから決して姉は母、私の父、私の実兄のことで悪いことを言ったことがなかった。

父の親族とは全然違っていた。

だからなおさら、本当はどう思っているのか、本当は私のことが憎いのではないかと。


けど、姉は私のことをとても心配していたという。

意外で、うれしくて、驚いた。


そう姉が思うのも、祖父のおかげだと。

そうだと思う。

2人は祖父を神のような人だと。


祖父が母と姉にこの機会を与えてくれ、2人の距離を縮めてくれたのだと私は思う。


私は一般家庭と比べれば、祖父とたくさん接したわけではないと思う。

けど、そのちょっとの機会でも私は父方の祖父母だけでなく、母方の祖母でもなく、祖父が一番好きだった。

田舎に帰るたびに見えなくなるまで泣いているおじいちゃん。

 もっとたくさんおじいちゃんと居たかった。

私が大学の3年になったと年の9月3日、父方の祖父が亡くなった。
夜、その知らせを聞いた母は「あんたも用意し!」と言った。

私は母の考えが分かった気がした。

とっさに、「うんっ」と返答し、用意し父と2人で田舎に帰った。

田舎に着き、先ず祖母を追い出した弟の家に寄った。

弟、弟の嫁はそよそよしく私が来ていることに対し、何もいわなかった。

そして弟も一緒に近くの父の実家(祖父母と本妻+子供3人が住んでいる)へ向かった。

実家の庭には、父の妹がいた。その妹は私と同じ県内に住んでいたら、幼少の頃は尋ねたことも多々あって知っていた。ただ、冷たい人だなって子供ながらに感じていた人だった。

そして、実家の中へ。

数人女性(恐らく親族)と私と父と父の弟、そして祖母となくなった祖父がいた。

皆が話をしていて私は何も話もしないし、ただじっとしていた。

しばらくすると部屋の周りの廊下で男性が獲物を探すような不審な動きをしていた。

だからといって私はその人を見ることをしなかった。

そしたら、私の後ろから私に話しかけられた。


「あんた、誰?」

私は振り向き、その人を見た。おばさんと私より少し年上の女性2人だった。

最初は私が聞かれていることも、何か言っていることも分からなかった。

そしてもう一度「あんた誰?」と言われ。。。

状況を把握しているので、

「私は、父の子です」など言えない。これは父が答える方がいいのではと思ったので、父の膝をポンポンと叩き、小さな声で「お父さん」と言った。

その途端。



「出て行ってよ」と私より年上の女性が大声で叫んだ。

本妻と子供だとわかった。

後に父が行っていたが、不審な動きをしていたのは父の長男だった。

そしておばさんは「ひどいじゃないの、こんな人連れてきて」

「こういうところに連れてくるなんて非常識にも程がある」

「この敷地に連れてこないで」

等々、、、父に言い、父も「関係ないやろーが」など言い、いい合いになった。

そのとき何故か、弟も父の見方になり本妻と子供とで言い合いになった。

 私は一切父も見ず、勿論本妻も見ず、1点を見ていた。

部屋の隅においていたタンスの1部をジッとみて、真顔になった。

私が泣いたり、怒っている顔したり、悲しんでいる顔したり、申し訳ないような顔をしてはいけないと思った。

ただ、真顔で1点を見る、ずっとそうやって本妻、特に子供の罵声を私は黙って聞いていた。


父は我慢できなくなった。口では父が勝てるはずも無く、父は「もうええわ、おい帰るぞ」と私に言って家をでようとした。

私は少し礼をし、玄関まで行った。

私は一切泣きたい気持ちになったわけでも、我慢していたわけでもない。

玄関出て戸を閉めた途端、

体の底から涙が出てきた。

未だかつて経験のしたことのない体の反応。

泣きたくなかったし、泣いたら父に叱られると思った。

でも止めたくても止めれなかった。体に別の人間がいるかと思うくらい涙が溢れた。

そして確信できた。自分の存在は人を苦しめてきたこと。
勿論、そう分かっていたつもり。自分が逆の立場ならそう思ってもおかしくないとずっと思っていた。
だからこそ、本妻、子供がいつか私を殺しに来たとしても私は抵抗しないと思っていた。

父と一緒に車に乗り、通夜に出ることなく、帰った。
帰る途中、私は帰ったら死ぬべきだと思っていた。
だけど、あるところで自殺をやめた

父は初めて私に言った「ごめんな」
父から言われたことは無い言葉。

私は生きるべきだと思った。
今、私が死を選んだら、母は絶対に許さない。父にも、本妻、子供にも。
母は怒り狂うはずだと思った。

だから、私はこの事は内緒にしておこうと思った。

母の子供である異父兄に父の実家の近くまで行ったら「数珠」を持ってきてくれることになっていたので、断りを入れるため私は兄に電話し「いらなくなってもう大丈夫だから」とだけ言った。

そして家に到着した。父はそのまま会社へ、母は仕事に行っていて家に居なかったので、母が帰ってくるまでに泣きたいだけ泣き切ってしまおうと部屋で泣いた。

夕方、母と父は外食で帰りが遅かった。

母が帰宅し、階段から母が言った。

「よく、耐えたな」と言った。

異父兄が私の様子に異変を感じたらしく、母に電話した。それを知り父から諸事情を聞いた。

母も私もこういうことになるとなんとなく分かっての行動だった。

この事件がきっかけで、父の弟は本妻、子供に財産がいかないように、長男である父は全ての財産を拒否することを提案し、数年後離婚をさせた。


この連休は田舎に帰りました合掌造り
到着して祖母sssの様子を見顔^^に行ったが、老人会みたいなのがあって、そこに祖母は行っているとこのことで、手土産甘いを部屋に置いていった。建物自体はちょっと考えてしまうものだったえ
部屋の中は住めるけど、、、ここで1人暮らすことになった祖母。父の弟と一時住んでいて、弟が「来るなひらめき」と周りの人へ言っていた事を考えれば、気を使うことないから、その方がいいのかもな。。。うーんとも感じたり、、、
自分の子供は8人もいて、孫もそれ以上にいて、ひ孫もたくさんいるのに、誰1人面倒を見たがらないことを考えたら、「人」って一体なんだろうかenaと考えさせられる。



 母の実家で異父姉姉2が帰ってきていた。
ちょっと母も姉も縁虚がちに話ししていた。

 姉は母をずっと嫌っていたし・ω・、捨てられたと思っていたし、既に母としての期待、思いも既に持っていなかった。現在も母としての認めてはいない汗
異父兄も捨てられたと思っていたが、「母」の存在、期待をしていたそうだこども男の子
だけどこの異父兄弟と母との間の壁不調は未だ頑丈に聳え立っていた。


 初めて私、母、姉と一緒に夕食へ行った食事
母は腰も悪く、歩くことも正直すごいことである。母の体はすごく柔軟だから歩けていると医師は言っていたサー・・・・ッ
そして、母の左手は1ヶ月ほど前から痺れと痛みで動かせない状態・・・・・!!!!!!!!!!

そんな母は、姉に心配というより、姉に合わせるように杖を突きながら、5キロくらいの長い道を歩いて店まで歩いていった∑!!
 酒が入り、本音と、当時のお互いの状況、環境、心境など話をした。私が知らなかったこと、姉が知らなかったこと、母が知らなかったことがあった。

 お互いこの年になったからこそ、理解できたこともあったこともあったにこ

姉の意見は母とすごく似ていた。姉も、母も私もそれを理解していたうひひ


そして、姉はとても私を心配してくれていたにこっ。私の環境が何より今、そしてこれから1番大変であることを知っていたから。


「自分が過去に起きた状況、今辛い状況、これからそうなるであろう状況」


知って、心配してくれ、支えになってくれること


自分の中で、どうしようもないことでも、誰か1人でもそれを知ってくれていて、見方になってくれることがどれだけ自分を強く、支えになるかにっこり



私は、人を支え、相手の気をどれだけ強くしてあげれるだろうかはて?


今までに「悪」とか「辛い」「憎い」といった経験。


それは決して傷だけでは終わらないということ


そのお陰で自分はある程度なら人の痛み、辛さを感じれると思う。


それは、私の財産の1つであるという事。


でも、相手にどうしてあげることが一番いいか、、、それが分からないガーン


これすごく私の中で葛藤していることの1つ戦い