タマムシと「玉虫厨子」の復元・考 | 迷えるオッサンの老惨禄

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チェンマイ18年の日誌を中心にやってきましたが、2021年9月帰国、タイトルを変更したいました。

タマムシと「玉虫厨子」の復元・考

 

 

 

先日ジャングルアパートのベンチで上画像のような青緑色の光沢のある虫を発見、よーく見るとタマムシの死骸で、左写真が表側、右が裏側から撮ったもので、片側の前脚と後脚が欠落している。

 

 

 

 

 

死後も光を失わないタマムシの美しい翅、これで細工物を作ったらさぞや美しいモノがと直感したのが日本最初の女帝推古天皇で、職工に命じて仕上げたのが飛鳥芸術の粋とされる法隆寺の国宝「玉虫厨子」(写真)であった。

 

4500匹のタマムシの翅を使った七色に輝く「玉虫厨子」、オッサンも想像するだに美しく神々しい厨子なんだろうと妄想、ぜひこの目で確かめたいものだと思っていた。

 

しかし、現実の「玉虫の厨子」は上写真のように高さ2m30cm燻んだ燈籠のようなモノで、ナニよりもタマムシの最大の特徴である青緑色の光沢がどこにも見られないことであった。

 

コレは創建以来1300年という途方も無い歳月を経て経年劣化、特にタマムシの翅はすべて失われ、「タマムシ不在の玉虫厨子」と変容したわけである。

 

 

 

コレがタイなら「タマムシ不在の玉虫厨子」なんぞ価値なしと即断され、すぐさまジャングルに何万匹もいるタマムシを捕らえて再現するか、あるいはタマムシよりもっと価値のあるエメラルド(翡翠)か、又は金ピカの厨子に変えているはずだが・・・、

 

しかし、タイと異なり古いものを大事にする日本では、復元はホンモノに非ずイミテーションは偽物と決めつけ、劣化して変身した「タマムシ不在の玉虫厨子」を後生大事に1300年も守り続けてきたのである。

 

 

X   X   X

 

 

 

ところが千数百年を経て日本にもタイ式合理的なタンブン志向を持つ御大尽が出現、すなわちホンモノのタマムシの翅を使ったホンモノの「玉虫厨子」を復元しようと言う御仁が現れたのである。

 

それが上の「わしゃ、世界の金太!」という自伝を出版した飛騨高山の大旦那中田金太さんで、6歳で丁稚奉公に出て以来修業・研鑽を重ねて、大金持ちに出世した立志伝中の人物で、

 

2004年に「平成の玉虫厨子」の再現を目指して飛騨の名匠たちを結集、4年がかりの作業を経て2008年3月「平成の玉虫厨子」が完成したのである。

 

 

 

で上が完成した「平成の玉虫厨子」で、タイの業者に委託して集めたタマムシの翅数は実に35,142枚と飛鳥玉虫厨子の約8倍に及び、2cm角に切ったタマムシの翅を壁面に貼り付けた緻密な作業に4年間、部位により微妙に色が変化する濃いグリーンの壁面が見事な「ホンモノの玉虫厨子」が復元されたのである。

 

私財100億を投じて平成の玉虫厨子を復元した中田金太は、外にも日本三大祭の飛騨高山祭り常設館や同祭り屋台からくり人形の再現など今日の飛騨高山観光に多大な貢献した御大尽で、その莫大な富の源泉はいかにとググってみたが庭石業者とあるだけで記述が無い・・かのWikipediaにも彼の記載は一行も無いのである。

 

つまり6歳で丁稚奉公に出て一代で巨億の富を築いた立志伝中の人物とは自伝本「わしゃ、世界の金太」にあるばかりで、その真偽はまったく不明なのである。

 

 

ちなみに「金太」と言って私がすぐに浮かんでくるのはかのシモネタ演歌「♪金太の大冒険」←clickであるが・・・、

 

自己顕示欲と宣伝臭の強い大金持ちの御大尽中田金太氏は実は名古屋人で、地元民からは尊敬されるよりも揶揄される方が強かったのではと思う次第であるが、コレを証明する資料も無し。写真も小さいのがたった一枚・左下はそのアップ画像。

 

ちなみに「平成の玉虫厨子」が完成したのは2008年3月であるが、中田金太は完成前年の20076月逝去(*オッサンと同年の76歳)と真に無念至極であった。

 

なお、「平成の玉虫厨子」は2基作られ、一基は法隆寺に寄贈、一基は飛騨高山の茶の湯美術館(金太家所蔵)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちゃんちゃん