ラベルの喪失。 | 「真夜中の談話室」の缶詰

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最近、妙なことを考えるようになった。

 

年を取ったせいなのか、それとも世の中の変化が早くなったせいなのか。

ネットを見ていても、「ああ、この人は保守だ」「こっちはリベラルだ」と、何でもかんでも名前を付けたがる。

 

でも、本当にそんなに簡単な話なんだろうか。

 

・・・ふと思った。

天使と悪魔。

 

昔から天使は善、悪魔は悪と教えられてきた。

 

だけど、それだって結局は誰かが付けたラベルじゃないのか?

 

ラベルというのは便利なものだ。

中身を見なくても、大体の見当が付く。

スーパーの商品もそうだし、仕事でも整理するためには欠かせない。

 

ただ、人間までラベルだけで判断するようになると、話は少し違ってくる。

政治なんて、その典型だろう。

 

保守とかリベラルとか、右派とか左派とか。

新聞もテレビも、その言葉を当たり前のように使う。

 

ところが最近は、そのラベルと中身がどうにも一致しない。

私にはそう見える。

 

オールドメディアでは、与党は保守、野党はリベラルという説明をよく耳にする。

でも、政策を眺めていると、「本当にそうかな」と首をかしげることが増えた。

 

与党の中にも右と左がいる。

野党だって同じだ。

 

ひとくくりにできるほど、世の中は単純じゃない。

そう考えると、「保守」だの「リベラル」だのという言葉は、昔ほど役に立たなくなっているのかもしれない。

 

日本人も少し変わってきた気がする。

 

昔は政党の名前だけで投票する人も多かった。

今はそうでもない。

 

「この人は信用できそうか。」、「この政策は納得できるか。」

 

そんなふうに、自分で考える人が増えてきたように感じる。

もちろん、私の勝手な見方かもしれない。

 

政治なんて答えが一つある世界じゃないから、「それは違う」と思う人もいるだろう。

それでも長いこと政治を見ていると、一つだけ感じることがある。

 

昔はラベルを見れば、ある程度中身が想像できた。

ところが今は、そのラベルが役に立たない。

だから余計に中身を見なければならない時代になった。

案外、それは悪いことじゃないのかもしれない。

 

人も政党も、肩書きより中身。

 

そんな当たり前のことを、もう一度思い出す時代になったのかな、と最近は考えている。

……まあ、政治ウォッチャーなんてものを続けていると、毎日飽きることはない。

 

だから今日も、ニュースを見ながら「ああでもない、こうでもない」と独り言を言っているのである。