前にも少し書きましたが、「男女雇用機会均等法」の本当の意味での実現は、私たち(昭和40年代生まれ)の世代が現役で会社にいる間には難しいのではないか、と感じています。
本当の変化が始まるのは、おそらくあと5年ほど先。
私たちの世代が完全に一線を退いたからといってすぐに変わるわけではありませんが、時代は徐々に、しかし確実に変わっていくはずです。
そしてこれからは、その変化と同時に「AIの進歩」が働き方そのものをガラリと変えていく可能性が極めて高いと思います。
これまでは「仕事ができる人」が「会社に必要とされる」時代でした。
しかしこれからは、雇用形態そのものが変わっていく気配がします。
確かに男女の機会は平等になりますが、同時に、人間が行う仕事の選択肢自体はこれまでにないほど少なくなっていくかもしれません。
簡単に言えば、その業務に「人の手がいるか、いらないか」がシビアに仕分けされるということです。
よく「AIの進歩で人間の仕事がなくなる」と言われますが、現時点では、AIを管理したり最終的な判断を下したりするのは人間の役割です。
※AI自身が管理・判断まで完結するのは、もう少し先の話でしょう。
だからこそ、これからの時代はこれまでの「学歴」の価値観が崩壊し、より専門的な技能や知識、つまり新時代の「手に職」を持てるかどうかが重要になってくるのだと思います。
そんな学歴社会の崩壊を象徴するかのような動きが、いま足元で起きています。
令和の「純金の卵」たち
かつて高度経済成長期、地方の中学・高校卒業者が貴重な労働力として都市部へ集団就職した際、彼らは「金の卵」と呼ばれました。
翻って令和の今、起きているのは「純金の卵」とも言える現象です。
少子高齢化のなか、中学・高校の卒業生に「地元で働いてもらおう」という動きが急速に広がっています。
実際に高卒者の就職率は上がっており、初任給の引き上げ、年間休日の増加、充実した福利厚生など、かつてからは想像もつかないほどの好待遇で迎えられるケースも増えています。
一方で、大卒の肩書きだけで勝負する働き方は、これからますます厳しくなるでしょう。
「働きたくても仕事がない」と言われる時代が、すぐそこまで来ているのかもしれません。
ある現役大学生で、高校時代からすでに会社を経営している若者がこんなことを言っていました。
「この先、もし大学に行くのであれば、ただ通うのではなく、自分で起業できるだけの知識と実力を身につける場所だと割り切らないと意味がない」と。
かつては「どんなに時代が変わっても、人と人をつなぐ営業の仕事だけはなくならない」と言われていました。
しかし今、インターネットやAIの爆発的な普及を目の当たりにして、私は「その営業すら、本当になくなってしまうかもしれない」と思い始めています。
明後日、私の職場に21歳の若い研修生がやってきます。高校を卒業したあと、しばらく引きこもりだったという経歴を持つ方です。
世間の言う「レール」からは少し外れた時期があったかもしれない。
けれど、これだけ激変する「この先の働き方」のなかでは、過去の学歴や経歴よりも、「これからどんな専門性を身につけるか」のほうがよっぽど大切です。
そんな新しい時代を生きる若者を、まずは温かく、そしてこれからの時代を共にする一人の仲間として迎え入れたいと思っています。
