頭ではわかっているのにどうしようもできないことって多い。
感情というものを抜きに人間を語ることはやはり不可能だ。
でもそんな機械とは一風変わった性質を持っているからこそ、理路整然と完璧にはできていないからこそそれに憎しみを感じ悔しさを感じるからこそさらなる向上をもとめるのではないだろうか。
この悔しさ屈辱という自らの満たされたない自尊心を自慰してやるのは長期戦の覚悟が必要だ。
耐えろ自分。ひしひしと虎視眈々と追い抜いてやれ。
彼らはすぐに君のことを認めてはくれない。
彼らは彼らで自らの自尊心を保つために君のことは否定しようと試みるはずだ。
だが事実は単純である。
コンピュータ史に重要な役目を果たした偉大なチューリングもノイマンもとうの昔に死んでしまっているのだ。
彼らは確かに天才だった。しかし結局は死んでしまっている。なんて無残で哀れではないだろうか。
ざまあみろとさえ思えてくる。
もっと自由に生きようと思えてくる。
どんなに自尊心を逆なでしてくる事象の前でも死だけは今のところだれしにも平等におりてきてくれるようだ。
優秀な人物だろうが学校出だろうが計算が早かろうがものしりだろうが何かに才能が秀でていようが、もちろんそれらに出くわせば悔しくて悔しくて身震いする事実に変わりはないが、いままでよりすこし可愛く感情を扱えるようになる気がする。可愛らしい感情だ。君を向上させてくれるんだ。なんてありがたい。
生と死と現実を見つめ明日も生きていきたい。