私が切迫早産と診断されたのと同じぐらいの時期(1月末)に持病の胃炎を悪化させた雪丸。
実家に早めの里帰りをしなければならなくなって、なんとかそれまでに良くなってもらおうと病院へ連れて行ったのですが、そこから僅か1ヶ月足らず、私が里帰りからニセコへ一時帰宅した時にはもう手遅れでした。

病院なんて逆に連れて行くべきじゃなかったのか...
どうしてあの病院を選んでしまったのか...
自分に精一杯で雪丸の処方された薬に疑問を持たず、一向に良くならないのにその薬を与え続けなければよかった...
もっと早くにセカンドオピニオンを受けに行くべきだった...
神戸に帰るべきじゃなかった...
そうすれば今でも私の横には雪丸がまだいたんじゃないか...
あのふわふわと柔らかい体に今でも触る事ができたんじゃないか...

過ぎてしまった時をさかのぼる事が出来ればどんなにいいか今回程切望したことはありません。

だってこれらの写真は実に今年の1月に撮ったものばかり...
間違った薬を与えなければ彼女はまだ生きていたはずと後悔してもしきれません。

私が里帰りに帰る2月11日頃は食欲がなくなりじっとうずくまるようになっていましたが、状態がそこまで悪いとは気がつきませんでした。
それからたった20日。
夫も一生懸命看病してくれていたのですが、雪丸は日に日に弱り私が戻った3月1日にはもう立つ事も出来なくなっていました。
あわてて獣医に相談してもラチがあかず、別の病院へ連れて行きましたが1ヶ月近くも強い薬やステロイドを投与され続けた彼女の体はもう限界で、別の獣医に出来た事は弱い薬を使って自己免疫力が戻るのをゆっくり待つ事だけでした。
体温も血圧も異常に下がり、採血すら出来ない程体の血液がなくなり、胸水に肺を圧迫され呼吸が苦しく、ステロイドで免疫が低下しきって鼻の粘膜も弱りかすかな呼吸も本当に苦しそうでした。
一日一日と神戸へ帰らなければならない日が近づくにつれて、その弱りきった雪丸をどうしてもニセコに置いておく事ができないと無理を承知で神戸へ一緒に連れて帰る決心をしましたが、出発前日の明け方、まるで私の手を煩わせることないよう気遣う様に息をひきとりました。

せめてもの救いは、最後の瞬間まで手を握って見つめてあげることができたこと。
夫とわんこたち、産まれて数ヶ月からずっと一緒に暮らしてきた相棒の梅千代と、みんなに見守られながら旅立つ事ができたこと。
もう苦しまなくていいんだということ...

ペットの死に直面したのは初めてでしたが本当に辛いですね...
回避できたかもしれない問題があると思うとなおさらです。
夫は『大丈夫だよ。雪丸はKyokoと今まで暮らせて幸せだったんだから。Kyokoが雪丸に素晴らしいライフをあげたんだよ』
と言ってくれました。
夫の家は彼が子供の頃から猫を何匹も飼っていて、何度も猫の死に直面したことがあり、彼も辛いはずなのに落ち着いて私を優しく慰めてくれました。
その日のうちにペット火葬に雪丸を連れて行き、大好きだった鰹節と私達の写真とともに旅立ちました。

白い箱に小さくなった雪丸を腕に抱くとその固い箱の感触に、もう二度とあの柔らかいからだを抱く事が出来なくなった事を実感させられ涙がまた止まらなくなりました。
今でもありありとその柔らかい感触を思い出せます。

救ってあげれなくて本当にごめんね。
今まで本当にありがとうね。
あなたに会えてよかったよ。
たくさんの思い出をありがとうね。
本当に大好きだったよ。
