小説熱海殺人事件
これが書かれたのが49年前…面白い、面白過ぎる、昭和の怒涛を生きてきた人間の、つかこうへいという、日本に演劇革命を起こした人間の発想力と独自性。
小説の良いところは、音が聞こえないことだ。
大山金太郎を送り出す時の部長の一声、ミュージック!そこで鳴り響く、タンタンタンターーーン、タンタンタンターーーン、タタタタ、ターンターンターン、ターンターーーン!
チャイコフスキーだ!こんな分かりやすく恥らしい代表曲の音が、文字では聞こえない。この高揚感は、読者次第だ。演劇の劇場空間では、観客の時間はこちらが二時間丸々頂いているので、否が応でも大音量でチャイコフスキーが鳴り響き、観客の心も体も五感全て頂くことが出来る。小説熱海殺人事件じゃあ、電車の中でそのチャイコフスキーを聞くことになる。
私はこのチャイコフスキーと部長の罵声を同時に100回以上演劇として聞いているので、もうただ小説として自由に羽ばたいて楽しむ事は、意識を集中せないと出来ないけれども、
演劇台本として素晴らしく完成されたものが小説になっていますなんてとっても楽しい。
今は未成年がお酒飲んだら警察に指紋取られちゃうし、人を殺したらぺぺっと捕まって報道されて三日後には誰も覚えていないし、最近じゃチャリンコを傘さして運転したらそれだけで罰金ガッちゃんこだ。
そんな世の中で、ストレスの溜まった若者達はヤるときゃやりますよと言わんばかりの凶悪犯罪をぽんぽこ犯すし、親は殺すし、小動物はミキサーにかけるし、狂ってる、狂ってるんだ。
「まったく今の若者は…」なんて太古の時代から言われていたらしい。けれども、そんな駄目と言われる若者を創りあげているのはその前の世代の若者達だったわけで、そうして命は繋がって、駄目になったり成長したり。
便利になればなるほど人と人との繋がりは薄っぺらくなって、肌の触れ合いの温かみも無いものが「繋がり」なんて言われたりして。
だけども私は思う。どんなに時代を憂いても、それがどんな時代でも、その時代時代で、この世をより良くしようと思っている人は必ずいて、凶悪犯罪が増えたとしても、ちゃんと世の中は良くなっているんじゃないかと。
だって昔は国が人殺しを勧めてたんだもん。戦争として。それが今じゃ殺人犯は人の道から外れたクソッタレです。良くなってんだか、悪くなってんだか、そんなのは個々が思う事で、
時代っていう大きなもんをつくってるのも、結局はここの人間なのです。
人間とは島みたいなもんだ、と中島らもの小説に書いてあったが、私達、島と島は支え合い、寄り添いあい生きているのです。
大丈夫です、どんなに憂うべき世の中でも、愛すべき人がいる以上、世界ってのはかけがえなく大切なものに変えられるのです。
愛すべき人を見つけましょう、人を、世界を、愛しましょう。そんでセックスして子孫を残せ!
つまり私が思うのは、草食化してないでもっとエロい事しろよ!という事でした。
おやすみなさい。