6/1から読み始めてコツコツのんびりと、やっと今朝読み終わった。2015年本屋大賞、鹿の王。
ちょっと物語の世界が壮大過ぎて私の脳みそには収まりきっていない。そしてこれから数十年収まる事はないだろうと思ってしまう。
成人してまた読み、恋をして読み、病気をして読み、困難にぶち当たって読み、愛を知り読み、結婚して読み、子を産んで読み、そしてババアになった時もまた、何度も読み直したい一冊に出会ったなと感じた。
私は大きな病にかかったことはないので身近に考えた事はなかったが、吉本ばななの「イルカ」でもインフルエンザが引き金になったように、生に病が付き物で有り、重要な役割を占めてる事は盲目の部分だった。目からウロコ。
この本を書くに当たってどれだけの資料を読み漁り医学を勉強したのかと思うと、作家ってスゲーな!!と漠然と思ってしまう…。
中学生の時、わたしは理科の授業に対して憤慨していた。本当に一ヶ月くらい怒っていた。丁度、生物が題材になっていた時で、「生き物にはメスオスが居て、後尾をして子を産みますよ~。また、ミジンコやミドリムシのように単細胞生物は自分のクローンを作り続けて繁殖しますよ~。」という授業だった。
私は怒りが止まらなかった。
『ミジンコの人生つまんな!何の為に生きてんの!?』
今考えてみれば、ただ単に子孫を残す為で、ミジンコがいるおかげで世界は成り立っている事にも気付けたのだが、中学生の時には本当に驚いて腹が立った。
愛も感情も後尾もなく、ただ自分から自分をぽいっと出して、ほい人生終わり!って簡単すぎるだろうと思っていた。そして、私のその怒りに対して真剣に取り合ってくれなかった理科の先生にも憤慨していた。テストが出来れば生命を知った事になるわけではない!!学生なので、そんな私をなだめてテストに集中させるのは教師として当たり前だったのかもしれないけど…。
そう、だからそんな私の、忘れていた幼き怒りを上橋菜穂子はすくい上げて教えてくれた。ありがとう。
大河のように流れるこの生命の繋がりを理解するのは、難しい。考えても考えても、ふとした時には忘れてしまう。自分に命がある事を。そしてその命は私だけのものなのだと傲慢に考えてしまう。忘れた頃には、ちゃんとゲド戦記を観るようにしてる。
人間とは国のようなものであるということ。なんて素晴らしい比喩!中島らもは人間は島だと書いてた。どっちにしろ皆本当は陸続き。親戚でも何でもないはずの赤の他人が傷付けられた時、どうしても悲しいのは、人と人はどうしたって無縁じゃないからなんだと思った。渋谷スクランブル交差点を行き交うゴミのような人の流れも、本当は皆陸続きの島、国々の集まった地球なんだなと感じた。
これだけたくさんの人間がいて、人の人口は増え続けているし、だったら私ひとりくらい馬鹿に生きたって、勝手に静かに死んだって、海に溶け込んで泡みたいに消えたって、誰も気付かないじゃない。勝手じゃない。と、思い続けてきて、その自暴自棄でふらふらしたりしていた。そしてこの本を読んでその命の、空に広がる無限の星より多くの命の事を考えると、やっぱり人間ひとりひとりなんて。と思ってしまう。
と思っていた時に、アメリカ映画の「ムーランルージュ」を見た。あの、ニコールキッドマンの美しさが果てしないヤツ。
私は単純な人間なので、あれだけのスケールで素晴らしい歌と煌びやかなスクリーンの世界で『愛ってこんなに美しい!』と叫ばれちゃうと、「そうですよね!」と思ってしまう。おかげさまで思ってしまった。
どんなに数が多くても、その価値や重みが無になることはない。尊い人間が、自分より大切に思える命を見付けて、新しい命を創り出すこと。その繰り返しの果てに私が生まれた事。例え愛されていないと思っている子供たちがいたとしても、愛なくしては絶対に存在していないこと。
ヴァンが孤独に終わらなくて良かった…必ず最後に愛は勝つ~で良かった…。
そしてこんな壮大な心の核に突き刺さる本を良い!という大人がいっぱいいて、本屋大賞になって沢山の人達が読んでるんだなと思うと、どんなに憂うべき時代と言われても、素敵な人間いっぱいいる未来の明るい立派な時代じゃないか!と思います。
そんな時代を創っていこう!なんて積極的なタイプでもないですが、せめてお邪魔にならないように周りの人を楽しませながら、私自身、強かに生きていこうかなと思います。
2015.6.30
p.s.(我孫子にてって何よ?!と思った。)
