去年、大怪我をされた方からお電話があった。


車椅子の生活になってもおかしくないほどの事故だったのに
リハビリをすごく頑張られて
今では病院の先生も驚かれるほどの快復で
ご自分の足で歩かれている。


どんなことが起きても


「もっと大変な人もいる
自分なんてまだまだ幸せ」


いつもそうおっしゃって
また見事にそれを実践されている。



私はいつも教わってばかり!


すごいな~。



ささやかな幸せ・・・


いつも感謝して過ごしたいと私も思ってはいるけど
その方を見ていると私の言葉などとてもとても・・・



上っ面だけ・・・
そんな感じ



本当の苦しさ、悲しさを乗り超えなければ
言葉だけ空回りしてるみたい。


自分なりの悩みや迷いはたくさんあるんだけどね。



人生という道でたとえると
それは小さな石ころにつまづくくらいのこと
多分・・・


大きな山を昇り降りしている方の言葉の重さの前には
恥ずかしさを感じてしまう。





今、重松 清さんの小説にちょっとハマっている。

まだ3~4冊しか読んでないけど心情の描写の巧みさに泣かされる。


吃音の国語教師の短編シリーズを読んだ。


非常勤の臨時教師。
国語の先生だけど吃音がひどく
つっかえながらしかしゃべれない。

ひとつの中学に2~3ヶ月しかいないんだけど
生徒からバカにされたり笑われたりしてもニコニコしている。


上手くしゃべれないから
大切なことしか言わない。


問題を抱えた生徒にそっと寄り添って
息も吸えないくらいつっかえつっかえ
その子にとって本当に大切なことを伝える・・・


ひとりぼっちの子にこう言う。


「ひとりぼっちが二人いたらもうひとりぼっちじゃないだろ?」


聞き取れないくらいにつっかえながら・・・



でも悲しさや苦しさを知っている子の耳には
その言葉がすんなり心まで届く。






そばにいるよ・・・




なんてあたたかな言葉だろう。



からだとの距離ではなく
心の距離



心のそばにいて


私も誰かの心のそばにいたい





そう思いながら過ごしていきたいな~。