わが愛猫、ララは早いものであれから7年が過ぎた。「あれ」とは7年前の、我が家の裏庭に現れた野良猫のタマちゃんとの出逢いのことである。やせ細った茶色のかわいいキジトラだった。餌をやると声をあげてむさぼるように食べた。毎日世話をしているうちにやがて、タマは子猫3匹を連れてきた。しばらくして今度はこの子たちの父親である雄猫(ゴンタ)を連れてきた。そして、最後に残ったのがララである。その間のドラマを語ると語りつくせないほどあるが、ひとことでいうと大変だった。哀しい思い出や後悔することが多い。

 

 

ララはいまだに外と私の部屋を往来する毎日である。「三つ子の魂百までも」というが、猫の場合は生まれて間もなく、数か月の生き方がその後の基礎をつくるのではないかと思っている。タマを保護したのは生まれて三か月後だったが、いまだに野良の習性が色濃く残っているのではないかと思うところが多い。とにかく、野原や土が大好きである。そのため、外から帰ってくるたびに汚れた体を拭いてやらないといけない。特に冬になると日差しによって温められた土が心地よいのだろう。土埃を浴びて帰ってくるのでたいへん。また、ときにとかげ、ねずみ、野鳥といった小動物を捕まえて、口に咥えて誇らしげに帰ってくることがある。獲物が傷ついていないところをみると遊び心なのだろう。ときに、部屋を走り周っているとかげやねずみに飛び上がって驚くことがある。しかし、最近そんないたずらも少なくなってきた。大人になったのだろう。

 

こんなララでも、愛くるしくてたまらない。言葉は通じないが信頼し合えると、阿吽の呼吸で気持ちが通じ合うようになる。鳴き声ひとつとっても、ことばと同じように実に多様で表現豊かである。こうしてやさしく穏やかな気持ちで日々を送れるのは、まさにわが愛猫ララのおかげである。心配なのは、私自信、いつ病気で倒れてしまうかもわからない高齢であることである。ララのためにも、この子を看取るまでは元気でいないといけないと思う。このかけがえのない小さな命に、ひとつの生き甲斐をいただいているのである。ララちゃん、あっりがとう。

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趣味のクロマチックハーモニカで劇中歌「Memory」を演奏してみました。よかったらどうぞ。。