近年記録づくめの異常気象がつづき、さらにその勢いが増しているように感じる。今年の夏は過去に記憶がないほどの猛暑が続いた。しかし、この暑さも「喉元過ぎれば熱さを忘れ」ではないが、涼しい秋がやってくると、やがてやってくるであろう厳しいい冬が思い出されるのか、猛暑だった夏も名残惜しくなってくる。そんな秋がまもなくやってくる。

 

秋といえば「読書」。喧騒の世の中から離れて古典を開いてみると、どこかなつかしく気持ちが落ち着いてくる。今回は季節が少し早いかもしれないが、三大随筆(枕草子、徒然草、方丈記)の秋にまつわる一節をまとめてみた。これらの随筆が書かれた平安時代や鎌倉時代の出来事が身近に感じられる。

 

 

『枕草子』:清少納言

「秋は夕暮れ 夕日の差して山の端(は) いと近う(ちこう)なりたるに 烏(からす)の寝所(ねどころ)へ行くとて 三つ四つ二つなど飛び急ぐさへ(え) あはれ(あわれ)なり。 まいて雁(かり)などの連ねたるがいと小さく見ゆるは いとおかし。 日入りはてて、風の音、虫の音(ね)など、はたいふ(いう)べきにあらず。」

 

口語訳

秋は夕暮れ時が美しい。夕日がゆっくりと山の影に沈む頃、カラスがねぐらへ帰るために三羽、四羽、二羽などと飛んでゆく姿も 秋らしくて良い。ましてさらに美しくて立派な雁が小さく見えるまで遠くへ飛んでゆくのは 本当に素敵。日没を迎えても 秋風の音や、虫の鳴き声が外から聞えてくるのは 言葉もいらないほど素晴らしい。

 

コメント:現代においてもどこでも見られる光景である。ただし、からすは嫌われ者になってしまった。それは現代社会が抱える問題を反映している。からすのせいではない。

 

『徒然草』:吉田兼好

第十九段

「折節の移り変るこそ、ものごとにあはれなれ。

 「もののあはれは秋こそまされ」と人ごとに言ふめれど、それもさるものにて、今一きは心も浮き立つものは、春のけしきにこそあめれ。鳥の声などもことの外に春めきて、のどやかなる日影に、墻根の草萌え出づるころより、やや春ふかく、霞みわたりて、花もやうやうけしきだつほどこそあれ、折しも、雨・風うちつづきて、心あわたたしく散り過ぎぬ、青葉になりゆくまで、万に、ただ、心をのみぞ悩ます。花橘は名にこそ負へれ、なほ、梅の匂ひにぞ、古の事も、立ちかへり恋しう思い出でらるる。山吹の清げに、藤のおぼつかなきさましたる、すべて、思ひ捨てがたきこと多し。

 「灌仏の比、祭の比、若葉の、梢涼しげに茂りゆくほどこそ、世のあはれも、人の恋しさもまされ」と人の仰せられしこそ、げにさるものなれ。五月、菖蒲ふく比、早苗とる比、水鶏の叩くなど、心ぼそからぬかは。六月の比、あやしき家に夕顔の白く見えて、蚊遣火ふすぶるも、あはれなり。六月祓、またをかし。

 七夕祭るこそなまめかしけれ。やうやう夜寒になるほど、雁鳴きてくる比、萩の下葉色づくほど、早稲田刈り干すなど、とり集めたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分の朝こそをかしけれ。言ひつづくれば、みな源氏物語・枕草子などにこと古りにたれど、同じ事、また、いまさらに言はじとにもあらず。おぼしき事言はぬは腹ふくるるわざなれば、筆にまかせつつ、あぢきなきすさびにて、かつ破り捨つべきものなれば、人の見るべきにもあらず。

 さて、冬枯のけしきこそ、秋にはをさをさ劣るまじけれ。汀の草に紅葉の散り止まりて、霜いと白うおける朝、遣水より烟の立つこそをかしけれ。年の暮れ果てて、人ごとに急ぎあへるころぞ、またなくあはれなる。すさまじきものにして見る人もなき月の寒けく澄める、廿日余りの空こそ、心ぼそきものなれ。御仏名、荷前の使立つなどぞ、あはれにやんごとなき。公事ども繁く、春の急ぎにとり重ねて催し行はるるさまぞ、いみじきや。追儺より四方拝に続くこそ面白けれ。晦日の夜、いたう闇きに、松どもともして、夜半過ぐるまで、人の、門叩き、走りありきて、何事にかあらん、ことことしくののしりて、足を空に惑ふが、暁がたより、さすがに音なくなりぬるこそ、年の名残も心ぼそけれ。亡き人のくる夜とて魂祭るわざは、このごろ都にはなきを、東のかたには、なほする事にてありしこそ、あはれなりしか。

 かくて明けゆく空のけしき、昨日に変りたりとはみえねど、ひきかへめづらしき心地ぞする。大路のさま、松立てわたして、はなやかにうれしげなるこそ、またあはれなれ。」

 

口語訳

折節の移り変わりこそ、物毎に哀れである。

 「ものの哀れは秋こそ勝る」と人毎に言うけれど、それも然るもので、今ひときわ心も浮き立つものは、春のけしきにこそあろう。鳥の声などもことのほかに春めいて、のどやかな日ざしに、垣根の草萌え出るころより、やや春ふかく、かすみわたって、花もようよう色めきだす時期でこそある、おりしも、雨・風うち続いて、心あわただしく散り過ぎる、青葉になりゆくまで、すべてに、ただ、心をのみだ悩ます。花橘こそ名を背負う、なお、梅の匂いにだ、昔の事も、立ち返り恋しく思い出される。山吹の清らかさに、藤のおぼつかない様してる、すべて、思い捨てがたきこと多い。

 「灌仏の頃、祭の頃、若葉の、こずえ涼しげに茂りゆく時期こそ、世の哀れも、人の恋しさも勝る」と人の仰られたのこそ、まことに然るものである。五月、菖蒲さす頃、早苗とる頃、水鶏の叩くなど、心ぼそくないか。六月の頃、賤しき家に夕顔が白く見えて、蚊遣り火くすぶるのも、哀れである。六月祓い、またおかしい。

 

 七夕祭るこそなまめかしかろう。やうやう夜寒になる時期、雁鳴いてくる頃、萩の下葉いろづく時期、早稲田刈り干すなど、とり集める事は、秋のみが多い。また、野分けの朝こそ、おかしかろう。言いつづければ、みな源氏物語・枕草子などに言い古されてるが、同じ事、いまさらに言わないでもない。思った事言わないのは腹ふくれる事ならば、筆にまかせつつ、味気ない遊びにて、すぐ破り捨てるべきものなれば、人の見るべきにもない。

 さて、冬枯れの景色こそ、秋におさおさ劣るまい。汀の草に紅葉が散り止まって、霜いたく白くおりる朝、遣水よりけむりの立つのこそおかしかろう。年の暮れ果てて、人毎に急ぎあう頃だ、またとなく哀れである。凄まじいものにして見る人もない月が寒く澄む、廿日あたりの空こそ、心細いものだ。御仏名、荷前の使い立つなどだ、哀れに止むことない。公の行事共繁く、新春の支度にとり重ねて催し行われる様子だ、すごいや。追儺より四方拝に続くのこそ面白かろう。晦日の夜、甚く暗いに、たいまつ達ともして、夜半過ぎるまで、人の、門叩き、走り歩いて、何事であろうか、ことごとしくののしって、足を空に惑うが、明け方より、さすがに音なくなるのこそ、年のなごりも心ぼそかろう。亡き人のくる夜といって魂祭る行事は、このごろ都にはないのを、東の方には、尚する事であったのこそ、哀れでした。

 かくて明けゆく空のけしき、昨日に変わってるとは見えないが、ひきかえめずらしい心地がする。大路の様子、松立てわたして、はなやかにうれしげなのこそ、また哀れである。」

 

第二百十二段

「秋の月は、かぎりなくめでたきものなり。いつとても月はかくこそあれとて、思ひ分かざらん人は、無下に心憂かるべき事なり。」

 

口語訳

秋の月は、限りなく素晴らしいものである。いつでも月はこのようなものだろうと、他の季節の月と区別がつかない人は、まったく残念な事である。

 

コメント:四季の移ろいを、情感豊かにみごとに表現している。つい半世紀前まで、ここに書かれているような情景が日本のいたるところで見られた。しかしこの半世紀、社会はかつて人類が経験したことがないような変化をしてきた。

 

 

『方丈記』:鴨長明

第二節

「また養和のころとか、久しくなりて覚えず。二年が間、世の中飢渇して、あさましきこと侍りき。あるいは春・夏日照り、あるいは秋、大風・洪水など、よからぬことどもうち続きて、五穀ことごとくならず。むなしく春かへし、夏植うる営みありて、秋刈り、冬収むるぞめきはなし。これによりて、国々の民、あるひは地を捨てて境を出で、あるひは家を忘れて山に住む。さまざまの御祈りはじまりて、なべてならぬ法ども行はるれど、さらさらそのしるしなし。」

 

口語訳

また養和の頃(時代)であったでしょうか、長い時間が経ったので覚えてはいません。二年の間、世の中では食料が欠乏して、あきれるほどひどいことがありました。ある年には春と夏に日が強く照り、ある年には秋に大風や洪水などがあり、よくないことが続いて、穀物がすべて実りません。無駄に春に畑を耕し、夏に苗を植える仕事があっても、秋に刈り取り、冬に収穫をするにぎわいはありません。このために、諸国の人々は、土地を捨てて国境を越え、あるいは家を捨てて山に住む(ようになりました。)(飢饉を鎮めようと、朝廷で)さまざまな祈りがはじまり、並々ではない修法などが行われはしますが、その効果はまったくありません。

 

 

第四節

「春は藤波を見る。紫雲のごとくして、西方ににほふ。夏は郭公をきく。語らふごとに、死出の山路を契る。秋は日ぐらしの聲耳に満てり。うつせみの世を悲しむかと聞ゆ。冬は雪をあはれぶ。積り消ゆるさま、罪障にたとへつべし。」

 

口語訳

春は藤波を見る。紫雲がたなびくように、西の方向に咲き匂う。夏は杜鵑の声を聞く。それが鳴くごとに死出の山路を案内してくれるように願った。秋はヒグラシの声が耳に満ちる。その声はこの世を悲しんでいるように聞こえる。冬は雪を哀れむ。その積っては消え行くさまは、罪障の移り変わりにたとえるべきであろう。